風の彼方へ

そして、いま、ここに在ること

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Posted by machiku on  | 

記事の削除について

教団に出家した当初の頃に、メインのワークとして描いていた
仏画のグヤサマジャについて記事を書いていました。

しかし、コメントをいただいてみると、
私自身、グヤサマジャについて、
肝心な部分の記憶が抜けていたことに気づきました。

元々、グヤサマジャについての記憶は怪しい部分が多いなとは思っていたのですが、
覚えているところだけを書けばいいかと考えて書き始めました。

しかし、考えていた以上に肝心な部分の記憶が
すっぽりと抜けていたことに気づいてしまうと
もう少し、記憶を整理する時間の必要性を感じざる得なかったので、
先日、書いた記事は、いったん削除することにしました。

これだけ長い時間帯の記憶がすっぽりと抜けているのは、
やはりニューナルコが原因とは思いますが、
教団から離れていたということもあってか、
ここまでひどい状態だったことを実感したのは初めてだったりもします。

もっとも、忘れてしまったことは考えられないので仕方がありません。


そもそも祭壇のグヤサマジャは
オウムの解脱のプロセスを象徴的に絵で表したものでした。

一般的な宗教であるなら、貪瞋癡という三毒は
修行によって静めていくものですが、
グヤサマジャは、その三毒を使って
解脱を果たすということが象徴的に描かれています。

だからといって、その三毒の背景にエゴがあるならば、
解脱どころか、悪趣に落ちるのは当然のことです。

そんな解脱か落ちるかの紙一重のような修行法を象徴として掲げ、
そしてそれを瞑想上のみならず、この現実の世界でも行動を起こしていたのが、
オウムの数々の事件の根本にあるものだと考えています。

だからこそ、思い出したくなかったのかもしれません。

前回の記事を再アップするかどうかはまだ未定です。
この記事も、少ししたら消すかもしれませんので、そのあたりはご了承ください。

Category : グヤサマジャ
Posted by machiku on  | 

『アット・オウム』(本の紹介)

アット・オウム


またまた、前回の記事からずいぶんと時間が経ってしまいました。
実は、旅立ちの日のシリーズでは、
もう一回だけ最後に書こうと思っていたのですが、
リアルの生活がバタバタしてしまって、機会を逃してしまいました。

それはまたの機会にさせていただいて、
今回は本の紹介をさせてもらいたいと思います。

実は今年の2月に入ってから、同居人の早坂に、
知り合いを通じて、ある人から取材依頼がきました。
それが今回ご紹介をする本の著者である、古賀義章さんです。

古賀さんは3月20日に、古賀さんにとって2冊目にあたる
オウムをテーマにした本を出版する予定でしたが、
オウムの教義について教えて欲しいという依頼でした。
出版まであまり時間がなかったので、
すぐに間に入っている知人にセッティングをしてもらい、
会うことになったようです。

その後、本の後書きにも書いてありますが、
9人の元信者にインタビューをして、そのうち4人から
締め切り間際に掲載を断られ、
30ページ分の原稿を見送ることになったそうです。

そのため、その穴埋めというわけでは無いのかもしれませんが、
急遽、麻原教祖の本や説法をいくつか入れることになり、
その解説も、早坂に依頼することになったわけです。

そのときに古賀さんが選んだのは、
坂本弁護士事件のその日に行われた説法をはじめとした、
オウム事件に深く関わっていると思われる説法を二つと、
オウムのバイブルといわれていた本の一つである
『生死を超える』の前書き、
そして、入信パンフレットに書かれていたものでした。

それらを並べて、あらためて読み返してみると
私自身は、まったく古賀さんとは面識がないのですが、
それでも彼が、どれだけオウムとはなんだったかということを
真剣に知りたくて、そんな純粋な思いから、
ずっとオウムを追いかけてきたのだろうということが
ひしひしと伝わってくるくらいに、
的を射ていると感じることができたものでした。

ただ、麻原さんの説法は、解説など必要ないほどに、
とてもわかりやすく説いているので、
最初はそれに解説など必要ないと早坂も思っていたようです。
でも坂本弁護士事件の当日に行われた三つの岩の説法などは、
世間でも有名になっているようですが、その解釈はただ単に、
三つの岩を殺害された三人に置き換えてしまうなど、
数字の語呂合わせだけで解釈されてしまっているようでした。
その説法の本質は、まったく理解されていないようなので、
そのあたりの解説を早坂が書きました。

そうしてできあがった本の見本が送られてきたので、
さっそく、全部に目を通してみました。

サリン事件が起こってから古賀さんが撮り続けた
オウム施設の写真を中心に、元信者のインタビューと
先ほども書いたように、麻原教祖の説法などの抜粋とその解説など、
いろいろなオウムが詰まっています。

その中で、私が印象的だったのは、
オウムのなぜをどんなに追いかけ続けても
オウムには入らなかっただろうという古賀さんの取材日記でした。

古賀さんは、オウムの向こう側にいるジャーナリストです。
でも古賀さんから見た向こう側を必死に理解しようとして、
冬の阿蘇にも泊まり込んでしまう姿に、
そこにも、もう一つのオウムがあるんだなと思いました。
その取材日記は、小さな字で、申し訳ない程度に詰め込まれた
感じになっていましたが、そのページを読んで、
いまのようなことを感慨深く感じました。



そして、最後にもう一つご紹介したい元信者のブログを。
>>オウムとクンダリニー

とても文章が上手で、引き込まれるブログです



Category :
Posted by machiku on  | 18 comments 

旅立ちの日 その6

その電話は、KSさんの大学時代の友人の方からでした。
ホスピスにお見舞いに行ったとき、
二度ほど顔を合わせたことがありましたが、
電話番号を伝えていたわけではないので、
ちょっとびっくりしました。

電話に出ると、この友人の方はまず、
KSさんが年のはじめに亡くなったことを教えてくれました。
それから自分の思いを正直に話してくれました、

じつはKSさんは、自分が亡くなったらそのことを、
何人かのオウムの関係者、マスコミや警察の知り合いの人たちに
伝えてほしい、と頼まれたそうです。
そのためのリストまでつくっていたようですが、この友人の方は結局、
「だれにも連絡していない」ということを言っていました。
そして、本当は私に対しても、連絡をしようか迷っていたそうです。
でもKSさんから、私宛の遺品を預かっていたので、
「やっぱり連絡をすることにした」というような趣旨のことを、
早口で話していました。

その数日後、遺品を受け取るために、
私はこの友人の方と会うことになりました。
指定された場所に行ってみると、御見舞のときに顔を合わせた
もう一人の友人の方もいました。
二人とも最初は、少し緊張しているような雰囲気でした。
でも話しているうちに段々と緊張がとけて、
かなり長い時間話し込んでしまいました。

彼女たちは、KSさんが亡くなったときのことを
かなり詳しく話してくれました。

その話のはじまりは、年が明けた日のことでしたが、二人とも、
そのときのKSさんの様子は本当に不思議でならなかった、
としきりに言っていました。

二人が驚いていたのは、KSさんのお母様に対する
態度の変化のことでした。
そのときまでは、誰の目から見ても険悪な雰囲気だったそうです。
それはお葬式のことで、KSさんとお母様の意見が違っていたり、
最後を迎える段階で面会できる人を規制されたことに対して、
KSさんが不満をあからさまに表に出していたからかもしれません。
しかし、その日はいつもと違っていました。
車椅子を押しているお母様に対して、
それまで見せたことがなかったようなとても優しい表情で、
「ありがとう」と言ったそうなのです。

その後、KSさんはベッドに横になり、静かに眠りにつきました。
そして、そのまま意識が戻らず、亡くなったということでした。

二人が驚いたのは、一連の様子が、まるでKSさんが
いままさに自分が逝くと知って
そうしているかのように見えたからだそうです。
もしも身体がすっかり動かなくなって、
意識が朦朧としている状態でそのようにしたなら、
不思議には感じなかったのかもしれません。
しかし、たとえ車椅子での参加ではあったとしても、
その数日前には、KSさんはケーキ作りのイベントに
参加していたくらいに元気な姿を見せていたのです。
二人はその姿を見ていたので、余計に不思議に思う気持ちが
大きかったのではないかと思います。

そして、話を聞いているうちに、KSさんの意識がなくなったその日は、
ちょうど私が青空の中に、麻原さんに導かれていくKSさんの姿を
見たのと同じ日であることに気づきました。

その後、医師が死亡と確認するまでには数日あったそうです。
その間、KSさんは一切苦しむことはなく、
まるで穏やかに眠っているようだったそうです。
そして、そのまま息を引き取り、死に顔は本当に
安らかだった、ということでした。

その後のお葬式は、身内と友人だけの少数で行ったそうです。

そんな話をしながら、二人は私に遺品を渡してくれました。
KSさんから依頼されたというその遺品は、
オウム関係のものがほとんどでした。
その中には、私がまだ入信する前のオウム神仙の会の頃に、
みんなでインドに行ったときの写真なども入っていました。

私は、そのインド旅行は体験していないはずなのですが、
その写真を見ているうちに、
懐かしさがこみ上げてきたような感覚になったのを覚えています。

二人はそのとき、「KSさんが自分の死を知らせてほしい」
といっていたリストも持参していました。
そちらは話し合いの末に、私が預かることにしました。
彼女たちは、KSさん以外のオウム関係者、
それからマスコミや警察の人たちとも、
できれば関わりを持ちたくない、という感じでした。
なので代わりに私が、その役目を果たそうと思ったのです。

とはいっても、私もまったく面識のない
マスコミや警察の方々に連絡する気にはなれなかったので、
直接、あるいは人伝に伝えたのは、
そのリストの中にあったオウムの関係者だけでしたが……。

じつはこのブログでKSさんのことを書いているのは、
そんな事情もあったからです。
希望どおりにすることができませんでしたが、
KSさんが自分の死を伝えたかった人、
とくにマスコミや警察の関係の知り合いの人たちが、
このブログを目にして、KSさんの気持ちを
知ることができればいいな
ということも願って書くことにしたのでした。

Category : KSさんのこと
Posted by machiku on  | 22 comments 
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