風の彼方へ

そして、いま、ここに在ること

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Posted by machiku on  | 

信頼

昨年9月のNHKドラマに関する話の最後に、
「近いうちにドキュメンタリーの感想を」と書きました。
それがすっかり放置という形になってしまい、本当に申し訳ありません。

あのドキュメンタリーは、諸々の事件の本当の動機、
それから麻原彰晃という人物の実際の姿を探っていく、
という姿勢があまり感じられませんでした。
最初に結論ありきで、それに沿って番組をつくるという、
これまで行われてきた報道と同じように
つくられているように感じられたのです。

それは全体でなく、部分的に受けた印象かもしれません。
でも事前にNHKの方から、「これまでとはちがう視点で」
という意気込みを聞かされていたので、そのギャップから
余計に強く思えてしまったのかもしれません。

それで最初は、そういうことをここで書こうと思いました。
でも実際に書き始めてみると、
なんだか批判ばかりのようになってしまいました。
しかし、いまはそういうことを書きたくなかったので、
結局、ドキュメンタリーの感想をうまくまとめることできず、
長い間、放置する形になってしまったわけです。

そこでドキュメンタリーの感想は後回しにすることにして、
ドラマについて書いたときにいただいたコメントの中にあった、
ある質問というか疑問の答えになるような話を書くことにします。

その質問というか疑問は、ドラマの放送後、いろいろな人から
幾度となく聞かれたものです。
ドラマの後半部分で触れられていた、
「記憶を消された」ということについてです。
そのことは衝撃的だったようで、
「観ているだけでとても怖かったけど、どんな気分だったんですか?」
と聞かれることがありました。

私はすべてを理解しているわけではないので、
聞かれたことすべてに答えられるわけではありません。
でも記憶を消された話は、多くの人が強く印象に残ったようなので、
どこまで伝えられるかはわかりませんが、
私なりに考えたことを書くことにしました。

記憶を消される直前のことは、じつはいまでもほとんど覚えていません。
ただ、記憶を消される直前、自分で自分宛に手紙を書いていたので、
そのときの自分の心の状態は、
その手紙を読むことである程度はわかっています。

ただ、その手紙は、自分以外の誰かに読まれても差し支えがないように、
具体的なことはなに一つ書いてありませんでした。
書かれているのが抽象的な内容でも、自分が読めば、
いろいろ思い出すのではないかと期待していたのだと思います。
でも実際は、そのときの状況は手紙を読んでも
ほとんど思い出すことはできませんでした。

だいたい何日がかりで記憶を消されたのかさえ、
いまだによくわかりません。
ただ、記憶を消されたのは、ちょうど地下鉄サリン事件が
起こった頃だというのはわかっています。
最後に記憶を消されてから数日後に、警察の大がかりな強制捜査が
始まったのをなんとなく覚えているからです。

あやふやなことをいっていると思われたかもしれませんが、
記憶が消される前だけでなく、記憶が消された直後のことも
よく覚えていないから仕方がありません。
記憶を消された直後というのは、新しい記憶も定着しにくく、
いま話したばかりのこともわからなくなってしまうような、
そんな感じでした。
この状態はだんだんと改善されていきましたが、
元に戻るまでに、だいたい一か月以上かかりました。

記憶が消される前に、自分宛に書いた手紙は、
こんなふうに記憶が曖昧な頃に捨ててしまいました。
それ以上、記憶を消されることはないと思い、
もう必要ないと考えたからです。
手紙の内容について、細かい部分まで正確に覚えていませんが、
書いてあったのは、ほとんど自責の念でした。
記憶を消されることへの恐怖のようなものは、
一切なかったように思います。

そんなふうに書くと、意外に思われるかもしれません。
でもその頃の私は、本心からそう思っていたようです。
正確な記憶がないので、そのことについては、
あとになってからも考えたことがあります。
何度考えても、どうしてもそのようにしか思えないので、
おそらくこれがそのときの本心だと思います。

当時のことを考えたときには、その後にもう一度
記憶を消されることになったらどうしていたか、
ということも想像してみました。
抵抗はあるものの、最後は従っていたのではないか、
というのが私の答えです。
もちろん、それは麻原さんからの指示だったらという条件付きです。
他の人によってそうされそうになったら、とても従えないので、
100%逃げ出しているでしょう。

このように、ふつうなら恐怖を感じるようなことでも
受け入れることができたのは、
やはり麻原さんへの信頼があったからなんだろうなと思います。
世間のイメージとはまったくちがいますが、
麻原さんは自分のエゴで人になにかをするようなことはなく、
いつも相手の魂の成長だけを考えていると感じさせてくれていました。
ときにはその指示が、世間の常識からすると、
弟子にとって不利益にしかならないように思えることもあります。
だから外から見ると、いかにも無茶苦茶なことばかりをしていたように
見えるのではないかと思います。

でも本当にそんなことをしていたら、誰もついていきません。
実際、そういう信頼のようなものがあったからこそ、
グルからポアの命令が下されたとき、素直に従う弟子がいた、
ということではないかと私は考えています。

また、あのNHKのドラマの中で、記憶を消されることは、
「都合の悪いことを知った人に対して行っていたこと」
と説明されていました。
そのように話していたのは、私のパートナーである早坂役の人です。
そのことに関して、早坂本人はあきれていました。
「自分はよく知らないし、そうは思っていない」
と取材の時は言っていたのに、都合上、ドラマをつくった人たちの
解釈を言わされる形にされてしまったからです。

私もそうですが、記憶が消されることも
一つのイニシエーションだと受け止めていました。
イニシエーションというのは、グルが弟子の修行を進めるために行う、
一種の儀式のようなものです。
オウムの中では、いろいろな形で日常的に行われていました。

あまり知られていないことかもしれませんが、
オウムの修行の目的は、霊性と精神性の向上にありました。
そしてその妨げになるものの一つに観念というものがあり、
これはその人の経験によってつくり上げられていると教わりました。
つまり記憶を消すことは経験を消すようなもので、霊性と精神性の
向上の妨げになっている観念の影響を排除することにつながります。
そのような価値観で考えると、決して悪いことではないわけです。

記憶を消されることは、ふつうに考えると恐怖を感じる嫌なことです。
でも修行上の理屈で考えると、一応は理にかなっていたわけです。
だから当時は、記憶を消されることにそれほど強い抵抗がなかった、
ということなのだと思います。

実際、記憶が消されてから目が覚めたときには、
なにかスッキリしたような意識状態だったことを覚えています。
恐怖もなければ、否定的な感情も一切ありません。
キラキラした光の中で目覚めたような、
むしろそんな気分のいい状態だったのです。
もちろん、その後はしばらく記憶の定着がうまくいかない状態が
続いたので、それだけはさすがに困りましたが。

また、そのドラマの最後の方で、記者役の人から
「あなたが指示されていたらサリンを撒いていたか?」
と質問されるシーンがありました。
そのとき私役の人が、「ふだんだったら絶対にやらないけど、
記憶を消された後だったらやっていたかもしれない」
というようなことを言っていました。

あのシーンを見ていた人の多くは、おそらく記憶を消されたことで、
機械のように意識を簡単にコントロールされてしまう状態に
なっていたからだと受けとめられたかと思います。
でも実際にはかなりちがうニュアンスであることは、
これまでの話で、なんとなくでもわかっていただけたでしょうか。

本当は、そのことも詳しく触れなければいけないのかもしれませんが、
そのことはまた別の機会にします。


そして、私の場合、記憶を消されることに素直に従うだけの強い信頼が、
最初から麻原さんに対してあったわけではありません。
いろいろと思い返してみると、ある日突然芽生えたようなものではなく、
時間をかけて少しずつ育まれていったように思います。
長い時間をかけて、信頼関係が築かれていきました。
そのことが世間的な見方では、そうやって時間をかけて、
徐々にマインドコントロールをされた、
ということにされてしまうようですが。

そんな信頼が、どのようにして培われていったのかということを
出家してから3度目の独房ができるようになるまでの
エピソードを通して、書いてみたいと思います。

長くなりましたので、次回に続きます。

関連記事

Category : 出家生活
Posted by machiku on  | 4 comments 

-4 Comments

Simon says..."No title"
ご感想ありがとうございます。前から気になっていたポイントだったのですが、こちらのテキストを印刷して何度か読み直しました。

なるほど、こういうことだったんですね。ドラマで一番印象に残ったって前に書きましたが、あの演出では深山さんがサリンの痕跡の様な物を見て、麻原さんの所にすっ飛んで、「私オウム辞めます!」って言った所で、麻原さんがにっこりと「昔のオウムとは違うんだよ」って返事したシーンでした。あれ見た時に相当な悪意を感じまして、そのために記憶を消すなんてひどいなと思ってました。

でも、深山さんの書き込み読んでるとそうでも無かったんだと思いました。

またコメントしますね。ありがとうございます!
2013.04.29 20:20 | URL | #- [edit]
深山 says...">Simonさん"
記憶を消すニューナルコは、やはり、ひどいと感じるのが普通ですよね。
この件に関しては、記憶を消されたと言ってしまうと「なぜ恨まないんだ」と逆に責められてしまうことが多いので、できれば話題を避けたいところだったのですが、そうもいきませんでした。

実際には、ドラマの後半は、取材を受けたときは、ほとんど思い出していなかったので、制作者の人達の想像もたくさん入っています。
でも、取材を受けたことによって、その後、少しずつ思い出すことができてくると、かなりドラマとは違う経緯があったことがわかってきました。
いずれにしろ「麻原はひどい」と思われるとは思うのですが、事実を辿ることの方が、麻原さんが何を考えていたのか理解しやすくなってくるので、そんなことも、いつになるかはわかりませんが、そのうち書いてみようかなと思っています。

そんなことのきっかけを与えてくれるようなコメント、本当にありがとうございました。^^
2013.04.30 18:06 | URL | #8w11VUaU [edit]
yasu says..."No title"
はじめまして。
わたしも一応は元信者です。
『マハーヤーナ』に貴方の成就記事が載っていたのを覚えております。


入会したのは、1992年でしたね。
『マハーヤーナ』をよく取り寄せていたのが、
きっかけでした。
で、1995年に事件と共に自然脱会となってしまいました。
会費が切れたのが、3月でした。
その22日後にああいうことになりまして、
襲いかかってくる「巨大なキングコブラ」の夢も見ましたし、
「騙されているんだぞ」という声もしましたし、
自分の守護霊がそうさせたのかな?
と思ってしまいました。
そして、自分が信者であったことを隠そうと、
『マハーヤーナ』などを全部燃やしました。
事件後、警察官などの訪問を受けた人は、
多かったですが、
そのときには、わたしにはどういう訳か来ませんでした。
でも、1997年に再入会したときはちゃんと、
担当地域の警官が3人ほどもれなく付いてきました。
その後、上祐氏が復帰する前に再脱会しまして、
西村新人類さんのようなオウマーと化して、
いろいろサイトも作ってみました。
今では飽きてしまい放置状態となりましたけど。

ところで、
「記憶を消す」ということですが、
オウムの教義上違和感を感じました。
それは脳に操作を加えるみたいですが、
コーザルにまで意識が達している者には、
無駄なような気がします。
今生で「ニューナルコ」を受けて、記憶を失ったとしても、バルドーで思い出したりするかもしれませんね。

で、ここまで書いて思ったんですが、
それを指示したソンシ(松本智津夫死刑囚)が、
拘置所でああいう状態になったのも、
その弟子たちの「記憶を消した」カルマが帰ってきたと解釈できなくもないです。

それに、Alephがソンシの助命祈祷を行っている理由も分かりましたね。
この世にいるのといないのとでは、
全然、エネルギーやデータの受け取り易さが違うからでしょう。
でも、それって、世間で言う親の年金を充てに生活をしている40~50歳代のニートと大して変わらない気もしないでもありません。

未だに、Alephに入会する人が後を絶たないというのも、何か惹かれるモノがあると思いますが、
当時のオウムはもっと凄かったと思います。
わたしもいろいろ体験させていただきましたが、
単に「マインドコントロール」とは違う気もします。
まあ、もう二度と入る気はしませんが。
2013.08.03 16:10 | URL | #z7XDr28E [edit]
深山 says...">yasuさん"
はじめまして。
コメントに気がつかず、数日放置してしまい申し訳ありません。
そして、詳しいプロフィールをありがとうございます。
ある程度でも、どういう方かわかるとお話がしやすいです。


>「記憶を消す」ということですが、
>オウムの教義上違和感を感じました。

記憶を消すというのは、説明が難しいのですが、私の経験から、コーザルのデーターは入れ替えられるようですが、あったことをなかったことにするというような事ではないみたいです。
たとえば、同じひとつの出来事でも、肯定的に見る人から聞く話と、否定的に見る人から聞く話とでは、同じ話とは感じられないことってありますよね。そして、肯定的にとらえる人と否定的にとらえる人とでは、それに対する対処の仕方も違うだろうし、その後の人生も大きく違ってきますよね。
で、ニューナルコには、ある一定の記憶(出来事だけでなく思考も含めて)を消すことで、物事への捉え方を変えていくという狙いもあったのではないかと感じています。
だから、いったんその出来事に対して肯定的にとらえることができるようになっていれば、後で消えた記憶を思い出しても問題ないだろうし、実際に思い出している人はたくさんいますしね。
もっとも、すべての人が、そんな風なグルの思惑どおりにいったかどうかはわかりませんけども。
また、コーザルに意識が到達して、自分でコーザルをいじれる人には、不要なイニシエーションであることは同意見です。

と、こんな説明で、少しは伝わったでしょうか。


>それを指示したソンシ(松本智津夫死刑囚)が、
>拘置所でああいう状態になったのも、
>その弟子たちの「記憶を消した」カルマが帰ってきたと解釈できなくもないです。

弟子の記憶を消すというだけでなく、本当にたくさんの無理をやっていましたからね。いろんなカルマを背負ってしまったということに対しては、その通りだと私も思います。
ただ、いつも自分を「ほふられた小羊」とか「張り付けにされたキリスト」に例えていられたので、諸々のことは覚悟の上でやっていたことなのかなとも思えます。


>Alephがソンシの助命祈祷を行っている理由も分かりましたね。
>この世にいるのといないのとでは、
>全然、エネルギーやデータの受け取り易さが違うからでしょう。

これに関しては、人それぞれだろうと思いたいですね。
ただ、こんな状態になってもまだグルからのエネルギーが欲しいだけと考えている人がいたとしたら(実際には少なくない人がそうかもしれませんが)、確かになんともわびしい気持ちになってしまいそうです。


>わたしもいろいろ体験させていただきましたが、
>単に「マインドコントロール」とは違う気もします。

マインドコントロールという言葉は、一般の人にとっては、わからないことや理解できないことを簡単に説明してくれる都合の良い言葉だと考えています。すべてをマインドコントロールで片付けてしまうのは、言葉は悪いですけど、これもひとつの思考停止のようにも思えてなりません。
といっても、オウムのことを一般の人が理解するのは、難しいことではあるんですけどね。
2013.08.06 11:25 | URL | #8w11VUaU [edit]

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。