風の彼方へ

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Posted by machiku on  | 

オウムの予言 ハルマゲドン編その1

オウムの予言の中で私が最も違和感を感じていたのは、
やはりハルマゲドンに関するものでした。

ハルマゲドンは、世界の終末における最終的な戦いのことです。
これに関してオウムでは、第三次世界大戦のようなものが起こり、
そのときに人類が壊滅状態になるとされていました。

じつは麻原さんが予言していたハルマゲドンの時期は、
そのときどきで変わっていました。

最も多く言われていたのは「1999年」です。
それが最後の頃になると、「1997年」に変わっていました。
この変化の詳しい経緯については、後ほど書くことにします。

麻原さんのハルマゲドンの予言を聞くとき、
私はいつも混乱していたのを覚えています。
まるで二つの時代の話を、
一緒くたにまとめて話しているような感覚があったからです。

たとえば、ある説法では、ハルマゲドンが起こるまでの経緯について、
こんなふうに話していました。
最初に起こるのは、日本がアジアから叩かれる状況で、
それは日本がオウムを叩いたカルマによって起こるというものです。
そして次に、アジアが日本を叩いたカルマによって、
今度は世界から叩かれるようになります。
その後、日本がアジアを率いるリーダーとなって、
世界大戦が起こるということです。

このようにして起こるとされていたハルマゲドンの時期は、
1999年だったように思います。
オウムの中では、麻原さんが次から次へといろんなことを行うので、
時間の流れがとても早く感じられました。
しかし、一般の社会の動きはゆるやかで、この予言の中身は、
私にはあまりリアリティのあるものには感じられませんでした。

たしかにオウムは、1989年の『サンデー毎日』誌の報道をきっかけに、
世間からバッシングを受けることになりました。
その後、国土法違反のような形式犯で関係者が逮捕されたり、
大がかりな強制捜査が行われるなど理不尽なこともあるにはありました。
しかし、バッシングとしてはまだ、それほど激しくはありませんでした。
むしろ私の中には、「この程度のことで本当に世界大戦に発展するの?」
という素朴な疑問もあったくらいです。

しかも、この頃はまだ世間の側に、
オウムをそれなりに評価する声もありました。
麻原さんがテレビや雑誌に積極的に出ることで、世間のオウムに対する
評価が変わるのを肌で感じることができた時代でもあったのです。
もちろん、世の中のすべての人がそうだったわけではありません。
でも一部には、そういう人たちがいたのはたしかだと思います。

なので当時のバッシングが世界大戦につながるという受け止め方は、
私にはできませんでした。
麻原さんの予言を感覚的に受けとめると、ハルマゲドンが起こるのは、
もっとずっと先のように聞こえていたのです。
でも示されていた時期は1999年です。
そこで、あるときいきなり世界の情勢が動くことになるのかと、
そんなふうに考えたりもしていました。

そのような私の見方は、そのうちに完璧に覆されることになります。
それは1994年から1995年の間の、麻原さんの二つの説法によってです。

このあたりの記憶は曖昧なのですが、
それはその説法の後からの記憶がないからです。
消えている部分は、曖昧な夢のときの意識みたいなもので、
起こったことの順番がわかりにくくなっている感じです。
説法を聞いて思ったことはハッキリと覚えてはいるのですが、
これから書くことに曖昧な点があるのは、
そのような理由からだとご理解ください。

まず一つめの説法は、ノストラダムスの有名な予言に関するものです。
「1999年の7の月にハルマゲドンが起こる」というのがありますが、
これは後世の人たちが占星術の星の配置から判断して解釈したもので、
実際にはそのときにハルマゲドンは起こらない、
というようなことを話していたと思います。

その説法を聞いたときに私が心の中で考えたのは、
「やっぱりハルマゲドンが起こるのは、もっとずっと先なんだ」
ということでした。
麻原さんの話が自分の見方と一致していたので、モヤが晴れたように、
スッキリした気分になったのでした。

しかし、その数日後に行われた説法で、
今度は以前にも増して混乱することになりました。
そのときにはいきなり、「ハルマゲドンは1997年に起こる」
という話になっていたからです。

その説法を聞いたときの私の反応は、自分でも意外なものでした。
直感的ではありましたが、深い確信を持って、
「本当は1997年も1999年もなくて、
最初からマハームドラーで話されていただけ」
と心から思っていたからです。
まるでどこかから、そういう意識が私の中に突然入ってきたような、
そんな感覚でした。

これは直感的に感じたことなので、理屈で説明することができません。
ほとんどの人に理解してもらえないかもしれないことはわかっていますが、
本当にそのように感じたのですから仕方がありません。

そして、このときの私は強い確信を持って、
「1999年までにハルマゲドンが起こることはない」と思っていました。
麻原さんの二つの説法は、そのことを私に伝えるためのもので、
だからあえて脈絡のない話をしていたと解釈していたくらいです。

ちなみに、この見方については、当時だれにも話しませんでした。
それは「ビニールシェルター編」で書いたように、オウムの中には、
グルの仕掛けるマハームドラーに素直に引っかかった方が修行は早く進む、
という考え方があったからです。

この説法の後、突然1997年へと早まったハルマゲドンに向かって、
教団の中の雰囲気はどんどんおかしくなっていきました。
そういう姿を見るにつれて、じつは他の人とはまた別の意味で、
私は冷静でいられなくなりました。

オウムの末期ともいえる時代には、ヴァジラヤーナと称して、
「ハルマゲドンは教団が起こす」と考えていた人たちがいたようです。
全体から見ればごく一部になりますが、この人たちの中には、
浮かれているように見える人もいました。
まるで戦争ごっこを楽しんでいるような、妙な高揚感に包まれた雰囲気が、
男性のサマナの一部にあったのです。

じつは当時はまだ、その高揚感の正体がよくわかっていませんでした。
理解できたのは、最近読んだ元幹部のインタビュー記事によってです。
そこには「戦争に対する憧れがあった」という記述がありました。
それを見て、あの高揚感はそういうものだったとわかったのです。

そして、そのことを前提にして考えているうちに、
ハルマゲドンの予言の目的の一つに、一部の人たちの潜在意識にあった
「戦争に対する憧れ」のようなものを具現化させることがあったのではないか
と思うようになりました。
断片的な当時の記憶の中に、そう感じさせるものがたくさんあったからです。

たとえば、その中の一つに、こんなものがあります。
それは諜報省の長官をやっていたA君に関する記憶です。

知っている人は、イニシャルにしようとだれのことかすぐにわかると思います。
彼は教団の末期の諸々の事件のキーパーソンともいえる立場にいました。
私は、A君は教団をつぶすための起爆剤のような役割があった、
というふうに考えています。
そのことの詳細を書くかどうかは、じつはまだ決めかねているところです。
万が一、書いたときには、単に事実関係を並べただけであっても、
個人攻撃のようになってしまいかねないという危惧があるからです。
なのでここではとりあえず、匿名にすることにしました。
おそらく気休めくらいの意味しかないとは思いますが……。

話を戻します。
私はその頃、サマナの修行の管理をするワークを担当していました。
危険な秘密ワークとはまったく無縁のものです。
そこにあるとき、なんの用事もないはずのA君がやって来ました。
そして、嬉しそうな顔をしながら「ちょっと見てください」といって、
手に持っているものを見せてくれました。

それは運転免許証でした。
私は最初、A君は車の免許を持っていなかったので、
免許を取ったことが嬉しくてわざわざ見せに来たのかと思いました。
しかし、話をしているうちに、そうではないことがすぐにわかりました。
その免許証の写真は彼のものでしたが、指さした場所に書かれていたのは、
まったく知らない人の名前だったのです。
私が呆気にとられているのをまるで楽しんでいるかのように、
「本物そっくりでしょ。これが偽造免許証だなんてわからないでしょ」
と、彼はウキウキしながら話し続けていました。

「なんのために作ったの? まさか使ったりしないんでしょ?」
と私が聞き返しても、彼はニヤニヤしているだけです。
そして、なにも答えずに、そのうちにその場から立ち去っていきました。
そのとき私のまわりには、秘密のワークのことなど知らない女性サマナが
何人かいて、A君が差し出した偽造運転免許を一緒にのぞき込んでいました。
みんな明らかに戸惑っていましたが、彼にはまったく気にならないようで、
始終浮かれていたような様子です。

おそらく当時のA君は、担当していた諜報省の仕事が、
心から気に入っていたのでしょう。
私にはそう見えました。
まるで子どもが大のお気に入りのおもちゃを与えられたような、
そんな雰囲気があったのです。
それはグルのお墨付きをもらって、公然とスパイごっこをやっている姿
といっていいのかもしれません。

本来であれば、こういうものはそのワークに関わっていない人には
秘密にしなければならないことでしょう。
そんな気遣いがないどころか、逆に自慢げに見せびらかしているのですから、
私にはもう遊び感覚にしか思えなかったのです。

オウムの末期の時代には、こんな浮かれた雰囲気が蔓延していました。
当時のことは、一般的には「ハルマゲドンを起こそうとして失敗した」と
説明されているようですが、これに私が違和感を感じるのは
そのような事情があるからです。
関わっている人たちが「戦争に対する憧れ」を背景に事件を起こしていたら、
それは「救済のための聖戦」であるはずがありません。

よくいわれることですが、平和な時代に人を殺せば厳しく罰せられものの、
戦争時は多くの人を殺せば殺すほど英雄とされます。
ヴァジラヤーナのワークに関わっていた人を突き動かしていたのは、
もしかしたらそういう考えだったのかもしれません。

しかし、動機の部分を考えてみると、私にはオウムによる一連の犯罪が
聖戦だったとはとても思えないわけです。
実際、関わっていた人の中には、自分の潜在意識にある攻撃性を正当化するために、
グルから与えられた「これは聖戦」という口実を利用していた人もいたと思います。
これは当時の雰囲気を知っている人なら、だれも否定できない事実ではないでしょうか。

そして、それはまさしく、心の奥底に隠れていたものを引き出されている
グルからマハームドラーをかけられている状態そのものに見えるのです。
だから一連の事件が起こった一つの理由には、マハームドラーがあったと
私は考えざるを得ないわけです。

もちろん、それだけであのような事件が起こったとは思っていないし、
ほかにも理由はあると思います。
長くなったので、そのことは次回に書くことにします。

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Category : オウムの予言
Posted by machiku on  | 10 comments 
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