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Posted by machiku on  | 

『オウム真理教秘録』その2<動機>

前回に引き続き、『オウム真理教秘録』を読んで
感じたことを書くことにします。

オウムが地下鉄にサリンをまいた理由は、
いまに至っても大きな謎として残っています。
これまでいろいろな人がいろいろな推測をしてきたし、
この本でも従来と違った視点からの謎解きが試みられています。
しかし、書かれていたのは、私を心から
納得させてくれるようなものではありませんでした。

オウムはなぜあのような事件を起こしたのか。
そのことはやはり麻原さんにしか説明できないことかもしれません。
しかし、私の中には、自分なりに考え、感じながら
到達した答えがないわけではありません。
もちろん、その見方ですべてを説明できるとは考えていませんが、
これが目的の一つだったことはまちがいないと確信しています。

オウムはなぜあのような事件を起こしたのか。
それは「教団をつぶすこと」が目的の一つだったと私は感じています。
おそらく誰もが突拍子もないように思われるこの見方について、
私は折に触れて話してきました。
しかし、それはNHKのドラマにも今回の本にも、
一切取り上げられることはありませんでした。

これは当然だと思います。
事件の目的の一つに「教団をつぶすこと」があったなどとは、
ふつうでは到底納得できるはずがありません。
どんな目的があろうと、いままで築いてきたものを
あっさり壊すなど考えられないからです。

しかし、それはあくまで「一般の価値観」で考えてのことです。
オウム問題を考えるときには、一般の価値観とは大きく異なる
「オウムの価値観」、より正確にいえば「麻原さんの価値観」で
考えてみることも大切なことではないでしょうか。

事件の目的の一つに、教団をつぶすことがあるかもしれない
という見方を私がするようになったのには、あるきっかけがありました。
このことについて考えているとき、麻原さんから直接聞いた言葉が
強く思い起こされたのです。

それは『サンデー毎日』によるバッシングが始まった頃のことでした。
ちょうど麻原さんの奥さんが、三つ目のヨーガであるマハームドラーを
成就した時でもありますが、富士山総本部道場の敷地内で、
目の前を歩いていた麻原さんから唐突に呼ばれて、
このように言われたのです。

「いまマハームドラーを成就している者たちは、
比較的カルマ(業)が良い者たちなんだよ。
それが後になればなるほどカルマが悪い者たちということになる。
カルマが良い者が成就するときでも、これだけオウムが叩かれるということは、
3万人のマハームドラーの成就者を出すためには
教団をつぶすしかないようだな」と。

麻原さんは、通りすがりに近くにいる人を呼びつけて、
ひと言だけ話して去って行くということをときどきしていました。
そういうときの言葉は、謎めいてはいるものの、後で振り返ると、
とても重要な意味を持っているということがよくあったので、
このときの言葉は強く心に残りました。

オウムのいう救済の中身を理解するのは、なかなか難しいことです。
これは一般の人だけでなく、おそらくオウムの信徒でも同じだと思います。
そんなこともあったのかもしれませんが、麻原さんは3万人の阿羅漢、
すなわち3万人のマハームドラーの成就者を出す、というふうに、
救済の目標を具体的に示していました。
そして、先ほどの話はそのことに触れたもので、目標達成のためには
当時のバッシングよりもさらにひどい「カルマ落とし」の状況が
必要になると言っていたわけです。

オウムに集っていたのは、教団の最後の時期でさえ、
在家信徒を合わせても1万人程度だったと聞いています。
そう考えると、「3万人の阿羅漢」という目標自体が、
あり得ない妄想のようなものといえるのかもしれません。
しかも、それに期限を課していたので、
側で見ていても達成が困難に思えました。

しかし、たとえそうであっても、自らが掲げる目標の達成のために
真剣かつ全力で取り組むのが麻原さんでした。
そして、目標に近づくことができるなら、
それが教団をつぶす結果を招こうと、
躊躇なく平気でやるようなところがあるのも確かなのです。

ただ、ここでいう「教団をつぶす」とは、自爆テロのようなものではなく、
弟子たちの修行を進めることを目的としたものという意味です。
そのために社会から徹底的に叩かれる環境を意図的につくった、
と考えられなくもないということです。

そもそもオウムのサマナは、
「この世のすべては苦しみであり、すべては無常である」
という仏教観を教わっていました。
だからこそオウムに出家して修行をしていたのですが、
組織が大きくなると暮らしが安定し、
その雰囲気の中に安住してしまうような雰囲気も見られました。
麻原さんはそのことを危惧しているという話をよくしていたので、
方法はともかくとして、オウムという場さえも無常なものであると
弟子たちに伝えたかったのではないかと考えています。

このような事件が弟子の修行と関係しているという見方は、
一般の人にはなかなか理解できないことかもしれません。
しかし、この見方はその後の裁判の様子にも当てはまるので、
私の中では捨てがたいものになっています。

たとえば、一連の事件の裁判が始まった頃に、
麻原さんが事件が弟子たちによって引き起こされたかのような発言をして、
「弟子のせいにしている」と大いに批判されました。
ところが、途中からそのような発言はしなくなったどころか、
自分の弁護団が弟子たちを追及することを許さなくなり、
最終的には裁判そのものを放棄してしまったのは周知のとおりです。
このことをどう見るかは難しい問題ですが、
グルと弟子の関係で考えると、次のような見方もできるわけです。

麻原さんはよく弟子たちに、
「自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする」
という詞章に象徴される、利他心の大切さを説いていました。

このように書くとお叱りを受けることはわかっていますが、
事件の実行犯になった人たちにしても、
その時点でそれが救済になると真剣に考えていたから、
あのような凶悪な犯罪行為に手を染めることができたのだと思います。
そして、彼らが本当に救済のつもりで事件を起こしていたなら、
自分が逮捕されて罰せられようと後悔しないだろうし、
崇高な心でグルを守り、自分がすべての罪をかぶることで
我が身を挺して救済を進める道を選択するのではないかと思います。

そして、麻原さんもそういうことを弟子たちにやらせたかったから、
最初にあえて弟子のせいであるように話して、弟子たちの心を試し、
成長の機会を与えたというように感じているのでした。

しかし、弟子たちは多くはそうしたことができませんでした。
自分を捨てることができないどころか、
中には我が身を守るために平気でウソをつく者もいるように見えました。
そこで今度はそういうことをやめさせるために、
途中から一転して弟子を守る姿勢を見せるようになり、
最後は裁判そのものを放棄してしまったというように感じるのでした。


じつは森達也さんが書いた『A3』の中に、
いまのことに当てはまる記述があります。
死刑囚の一人である中川さんが聞いたというものです。
ニュアンスは少しちがいますが、彼は麻原さんとのやりとりの中で、
「教団はつぶれる」、そして「自分は弟子のいないところで死ぬ」と、
そんなことを何度となく聞いたといっていたそうです。
それはいまの状況を予測していたということなのかもしれません。

裁判を放棄した麻原さんは、その後は拘置所の中で、
まるで狂人のような振る舞いを見せているといいます。
私は直接見ることができませんが、漏れ伝わって来る話を聞くと、
以前の麻原さんの姿とのギャップに戸惑います。

同時に、まだオウム神仙の会の時代に
麻原さんが言っていた言葉が自然に思い出されます。
それは「私は今生はかっこ悪い救済者なんだよ」というものです。
それがどういうことを指していたのかわかりませんが、
私にはなんとなく、いまの姿とだぶって見えて仕方がないのでした。



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(2013/05/29)
NHKスペシャル取材班

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