風の彼方へ

そして、いま、ここに在ること

『オウム真理教秘録』その1

5月末に文藝春秋から『未解決事件~オウム真理教秘録』が出版されました。
NHKで昨年放映された番組の内容を、多くの取材記者の視点から、
さらに詳細に取り上げている本です。

この本の第1章「教団はなぜ暴走したのか」では、
早坂と私深山への取材の様子が、ドラマよりもかなり詳しく書かれています。
興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

私もこの本を読み終えましたが、なかなかの力作だと思いました。
一方で、中身について気になったことがいくつかあったので、
そのことをこのブログで何回かに分けて書くことにします。
今回は、私たちのことが書かれている、第1章を読んで感じたことです。

私たちの考えや見方をドラマのときより
かなり正確かつ詳細に書いていただいたと思いますが、気になる点もありました。
事実関係が少し違うところがあるのです。

大きな原因は、取材当時の私の記憶が曖昧だったことにあります。
このブログでも書きましたが、私は記憶を消す
ニューナルコというイニシエーションを受けており、
ドラマの後半部分で描かれていた時代の記憶が一部抜け落ちています。
とくに取材を受けていたときには、まだ当時のことをあまり思い出すことができず、
ドラマでは想像でつくられてしまった部分が多かったのです。

しかし、この取材をきっかけに当時のことを思い返す機会が増えて、
その後に新たに思い出したことがいくつかありました。
その断片的な記憶をつなぎ合わせていくと、
事実はドラマで描かれていたのとはちょっと違っているようです。
本当はそのことをお話しして、本に反映してもらうべきでした。
それができなかったので、新たに思い出したことを補足として、
ここに書いておくことにします。

私が気になっている明らかな記憶違いは、教団の犯罪行為に気づいた場面です。
ドラマでは、私が画いた仏画にカビが生えたことがきっかけで、
教団の犯罪行為にようやく気づいたということになっていました。
しかし、実際にはカビの生えた仏画は、その直後にまわりの協力を得て
きれいに掃除をしたことを思い出しました。
カビが生えたことで嫌な気分になったのは事実ですが、
その後の展開はちょっと飛躍しすぎでした。

すべてを正確に思い出したわけではありませんが、
私が教団の裏ワークを知ったのは、本当のところは別のことがきっかけでした。
それは私が担当していたワークと関係がありました。
当時の私は、主に出家サマナの修行やイニシエーションの管理をしている
労働省に所属していました。
教団がどんどん危険な状態に陥っていった中でも、
比較的まったりとした雰囲気に包まれていた部署です。
その労働省だけでなく、私は麻原さんからの指示で、新実さんが大臣をしていた
自治省の人たちの修行指導を手伝っていたのです。
そのため危険な情報を知り得ることができたようなのです。

自治省は、全員ではありませんが、裏ワークと呼ばれる
犯罪行為に関わっていた人が数多くいた部署でした。
私が自治省のサマナの修行指導を行っていたのは、
自治省の「師」の人たちは秘密のワークが忙しくて、
サマナの修行の面倒までみることができなかったのが一応の理由です。
そこで麻原さんからの直々の指名で、私が修行指導を行うようになっていました。

そのとき主に行っていたのは、「バルドーの導き」というものでした。
これはサマナに「人は必ず死ぬ」ということを説いているビデオを見せ、
その後に目隠しをさせて、死後の世界に体験すると言われている
閻魔大王による裁きの場面を疑似体験させるというものです。
ふつうはその人が過去に行った悪い行いを責める閻魔大王役と、
裁きの最中にフォローをしてくれる弁護役の二人で修行指導を行いますが、
自治省の師は忙しいということで誰もやらず、なおかつ自治省以外の師は
私しか行ってはいけないという指示だったので、
私が一人で閻魔様と弁護役の二役を声色を変えて行っていました。
どこか学生の演劇部のノリでやっているような恥ずかしさがありましたが、
そういうことでも真剣にやるのがオウムの一つの特徴でした。

バルドーの導きでは、目隠しをしたサマナから話を聞くことがありました。
内容は、懺悔だったり、愚痴や不平や不満だったりです。
こういうときたいていのサマナは、自分の思いを正直に話してくれます。
当然、ワークについての話をすることもあるので、そんな中で私は、
自治省の秘密のワークの話も聞くことになったようです。

当時の記憶は曖昧で、まだ断片的にしか思い出せないのですが、
その中に印象的なこんなものがありました。
それはバルドーの導きのときに変なことを話していたサマナについて、
大臣の新実さんに報告に行ったときのものです。
私の話を聞いた新実さんは、
「そんなこと言ってるんですか。じゃ、これをしちゃいましょう」
と言いながら、手で注射を打つ仕草をしていました。
そのとき私は、その仕草の意味がわからず、きょとんとしていましたが、
それを見て私が何も知らないことに気づいたようで、
新実さんはいつもの明るい調子で、
「ワークが忙しいので、その話はまた後で。ご報告ありがとうございました」
と敬礼をしながら、いかにも何かをごまかすような様子で
去って行ったことがありました。

ドラマの中では、私がいろいろと探ったということになってましたが、
いろいろと思い出したことから考えると、これは正しくないようです。
私がどうこうしたというより、必然的にそういう方向にいったのだと思います。
そして、これは偶然そうなったのではなく、麻原さんが遠回しに手を打ち、
そうなったようにも思えてなりません。

じつは教団がおかしな方向に進んでいると感じる少し前から、
私は麻原さんを避けるようになっていました。
直接の報告を求められていることについてもメモにして、
後に刺殺された村井さんを見つけたときに渡して、
「これを尊師に報告してください」とお願いしていたのです。
その頃、麻原さんは説法で、
「私が怖くて近づきたくないというのは心の弱さだ」
という話をしていました。
それはタイミング的に、明らかに私に向って言っているものだと思われましたが、
それでも私は、村井さんにメモを渡して報告するのをやめませんでした。

こういうとき麻原さんはあきらめがよく、無理強いをすることはありませんでした。
ただ、村井さんは他のワークで忙しいということなのか、
しばらくしてから、他の人を私と麻原さんの間の連絡係としてつけてくれました。

その頃、なぜそれほどまで、麻原さんの側に行くのを嫌がったか
自分でもよくわかりません。
はっきりいえるのは、側に行くと犯罪行為をさせられる、
ということはまったく考えていなかったということです。
また、麻原さんが私に対して、それほど厳しい態度で接してきた
ということでもありませんでした。

当時のことをあらためて振り返ってみると、
おそらく麻原さんの側にいた人たちの雰囲気が嫌だったからではないかと思います。
全員がそうだったわけではありませんが、
中には自分のステージを上げてもらいたいがために、
あからさまに媚びへつらっているように見える人も何人かいたのです。
そういうことへの嫌悪感があり、自分はその仲間に入りたくない、
という思いが強かったように思います。

ちなみに、そうやって他の人を押しのけてでも麻原さんの側に行き、
気に入られようとしていた人の中には、自分のしてきたことは省みず、
逮捕された後の裁判では、「逆らえずにやった」
というような主張をしているような人もいます。

精神的なステージを上げることは、出家サマナの一番の目標でした。
そのためになりふり構わず努力するのは、修行者として悪いことではないと思います。
私が抵抗を感じたのは、そういう人たちの心の背景にあるのが、
煩悩を捨断する修行者としてのものではなく、
自分のプライドや権力欲求を満足させたいという、
修行者の心とは真逆のものであるように感じたからなのだと思います。

もちろん私の中に、そういう煩悩がまったくなければ、
そんな雰囲気は平然と無視できたでしょう。
それができなかったのは、私の中にもそういう要素があったからだと言えます。
少なくともそのように自覚していたから、
私は麻原さんの側に行くことをためらったのだと感じています。
側に行くことで、自分の中のそうした心の汚れが
引き出されてしまうことを怖れたということです。

一般的にも有名になっているようですが、麻原さんは弟子に対して、
マハームドラーという仕掛けをよく行っていました。
これについては、弟子を自由にコントロールするための技法、
と解釈している人もいるようです。
いずれにしてもこの仕掛けに、相手が気づいていない
心の汚れを引き出す効果があるのは確かなようです。
それは実際に仕掛けをされたいろいろな人を見てきて感じていることです。

自分の心の底にある汚れが引き出されて、
それを見つめる機会が得られるのは、修行者としては喜ばしいことです。
当時、私もまた頭ではそのように理解していましたが、
そこに飛び込む勇気はありませんでした。
だから側に行くことを求められたとき、ためらってしまったのだと思います。

じつは当時、私と同じ思いを持っていた人がいたようです。
師の立場にある数人から、
「最近、尊師の側に行くのが怖くて避けちゃうんだ」
という類の話を聞いたことを思い出したのです。
不思議なことに、そのように話していた人たちの大半は、
オウムが行った一連の犯罪に深く関わってはいません。

NHKの取材のときに、
「犯罪に関わった人と関わっていない人とは、どこで線引きをされていたのか」
ということを何度か聞かれました。
そのときは明確に答えることができませんでしたが、
もしかしたらいまのことも一つの答えになるのかもしれません。

それにしてもあらためて振り返って思うのは、
オウムの最後の最後の時代になって、
なぜ麻原さんがわざわざ私に自治省のサマナの修行指導をさせ、
裏ワークのことが伝わるようにしたかということです。
そのことは私にとって、大きな謎として残っています。

出家した当初、麻原さんは私によく、ヴァジラヤーナという、
世間で危険とされている教えのことを話してくれました。
しかし、その頃の私は宗教的な知識があまりなく、ヴァジラヤーナの教えは
たとえ話としか受け止められず、ほとんどスルーしていました。
そのうちに説法会などの場を除くと、麻原さんがその種の話を
私の前ですることもほとんどなくなっていました。
あるとき私が麻原さんと話しているときに村井さんがやってきて、
裏ワークと思しきこと(いま振り返るとですが)の報告を始めようとすると、
「今はその話はするな」
と強い口調で制止したことがありました。
それまではむしろ、私には一切そういった話が入らないようにしていたのです。

ドラマでは、記憶が消される直前に麻原さんと話したのは
裏ワークのことが中心のように描かれていました。
しかし、断片的ながらあとで思い出せたのは、修行の話が中心だったということです。
そんなこともあって、あえて裏ワークの情報が伝わるようにしたことも、
なにか修行上の目的があったのかもしれないと推測しています。

私の疑問はもちろんのこと、オウムがなぜあのような事件を起こしたかについて
きちんと答えられるのは麻原さんだけです。
しかし、現実にはなにも話していません。
それでも当時麻原さんが何を考え、何をしようとしていたかを考えることで、
この謎に少しでも迫ることはできるのではないかと思っています。
そして、そのときに大事なのは、麻原さんがどのような人であるかを
理解することではないかと思っています。

麻原さんのことをみなさんにわかりやすく一言で表現すると、
早坂などは「狂人」というのがぴったりだと言っています。
ただし、狂人は狂人でも、修行や救済のためと思ったら何でもやるし、
神々の意思であると受けとめればどんなことでもやる「宗教キチガイ」です。

そのことを踏まえながら、
『未解決事件~オウム真理教秘録』を読んで感じたことを
もういくつか書いていくことにします。



未解決事件 オウム真理教秘録未解決事件 オウム真理教秘録
(2013/05/29)
NHKスペシャル取材班

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Posted by machiku on  | 22 comments 
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