風の彼方へ

そして、いま、ここに在ること

『A3』

去年の秋に『A3』の著者である森達也さんから取材を受けました。
そのときのことは、『A3』の文庫本(2012年12月発売)の
下巻の最後の章に対談の形で載っています。

今回は、そのときの話に関連することを書きます。

オウムの問題は、麻原彰晃という人ぬきには語ることができません。
この人は本当に、存在そのものが不思議であるといまも感じています。
それは見る人によって、まったくちがう評価の仕方をされるからです。
『俗物中の俗物』とか『至上まれに見る大悪人』だったり、
まったく正反対に、『大聖者』とか『偉大な救済者』というふうにです。

もちろん後者の見方をしているのはほんの一部で、
大多数の人は前者の見方をしているようですが。

不思議なのは、そんなふうに真逆の見方をしている人たちが、
麻原彰晃という人を挟んで、まるで合わせ鏡のように、
反対の見方をしている人たちを同じように見ていることです。
どちらの側にいる人たちも、自分の側を「絶対的な善」と考え、
反対側にいる人たちを「絶対的な悪」と位置づけているように見えます。

サリン事件をはじめとするオウムが起こした事件の背景には、
まちがいなくこうした極端な見方があったように思います。

一方で、その事件後の社会の対応、それから裁判などでも、
このような極端な見方がまかり通っているように見えます。

被告が完全に壊れてしまっているようにしか見えない麻原裁判は、
きちんとした精神鑑定も行われず、
一審で打ち切って死刑を確定するという異例の事態になっています。

また事件後もオウムに関わり続けていた人たちは、
事件に関与していたかどうかなど関係なく攻撃の対象にされて、
引っ越した先で住民票の受理を拒否されたり、
「麻原の子ども」というだけで就学を拒否されるケースもありました。

もちろん、そのきっかけをつくったのはオウムのほうです。
しかしそれに対する世の中の反応のほうも、
ふつうに考えればかなりおかしなものと言わざるを得ません。

私は事件直後にオウムから離れているので、
その雰囲気を直接肌で感じる機会はあまりありませんでした。
しかし、『A3』を通じてあらためてそれらに触れることができ、
たいへん驚いています。

それはおかしなことが公然とまかり通っていることにではありません。
世の中のこうした反応が、麻原さんから「マハームドラー」を
かけられている最中の弟子の姿と重なって見えたことにです。

マハームドラーというのは、
グルが弟子を成長させるために行う仕掛けのようなものです。
オウムではそのように説明されていました。
目的は、本人が気づいていない、深層心理にある心の汚れを引き出し、
それを見つめさせて、最終的に取り除かせることにあります。

マハームドラーの途中段階では、
仕掛けられたほうは平然とおかしなことをしてしまいます。
そして『A3』を読んでいるうちに、麻原さんやオウムへの世の中の反応に、
汚れの部分を無理やり表に引き出されてそうなっているような、
そんな印象を持つようになってしまったのです。

私は過去に、麻原さんから
マハームドラーを仕掛けられたことが何度かあります。
そのときはあとで、どういう意図があったのか、
詳しく解説を聞くことができました。
いまは廃人のような状態にあると聞くし、たとえ正常に戻っても、
おそらくそのことを直接確認する機会は持てないでしょう。

私が感じたことは、偶然の一致にすぎないのかもしれません。
たとえそうだとしても、現実に見られることが
オウム的な理屈にそのまま当てはまってしまうのが、
私にはやはり不思議に思えてなりません。

そしてそのことを私に気づかせてくれたのが、『A3』という本でした。
この本は、私にとって読むことそのものが辛いと感じさせるものでした。
あまり見たくない現実に目を向けることになるからです。

それはおそらくオウムに関係してきた者だけでなく、
オウムのことを「絶対悪」として見ている人も同じだと思います。
それぞれの立場によって、捉え方は大きく変わってくるとは思いますが、
一度立ち止まってオウムを巡る問題を冷静に考えたい人には、
この本を読むことをぜひお勧めしたいと思います。


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Posted by machiku on  | 2 comments 
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