風の彼方へ

そして、いま、ここに在ること

グヤサマジャのエレメントバージョンについて

今回は、グヤサマジャに五大エレメントの一部のバージョンが
あるのかという話についてです。

これは、コメントでも聞かれたことでしたが、
その後、他の人からもメールでご質問をいただいたので、
本文の方で、簡単に書いておこうと思いました。

今回の話は、オウムの元サマナや元信徒、
あるいは、現信者の方にしかわからない話だと思います。
私が描いた全部のグヤサマジャを並べてみると一目瞭然ですが、
背景が全部違っています。

これは、前にも簡単に触れましたが、背景に関しては、
麻原さんからの指示はありませんでした。
すべて、私がそのときに描きたいと感じたように描いていました。

そのためと言っていいのかわかりませんが、
今となっては、描いた本人の私も
どんな背景で描いていたか、すべてを記憶してはいません。
『マハーヤーナ』に掲載されている一番始めに描いたグヤサマジャは
水の中から蓮華の台座が出ているものなので、
水元素バージョンと言っている人もいるようですけど……。

記憶にあるのは、独房修行を経て成就と認定された後に
描いたものに関しては、初めて麻原さんに、
手放しで褒めてもらえました。
成就認定後に描いたグヤサマジャに関しては、
それまでとは違った出来になったと自分でも感じました。
なので褒めてもらえたことが素直に嬉しかったことを
ハッキリと記憶しています。

それは、修行によって心の浄化が進んだことが
描いたグヤサマジャの絵にハッキリと現れたと、
自分でもそう感じていたので、
褒められたことが喜びにつながったということです。

そして、さらに時間が経って、最後の方に描いたものに関しては、
私自身、具体的な風景はいらないと感じるようになっていました。
なので、深いブルーの中に
グヤサマジャが浮いているようなイメージで
描いたように記憶しています。

そういった背景の移り変わりが、見る人によって、五大エレメントの
地元素バージョン、水元素バージョン、空元素バージョンというように
見えているのかなと思います。

確かに、言われてみるとそうなってるかな、とは思うものの、
そのときに描いていた私自身は、意識していたわけではありません。
今回は地元素バージョンで描こうとか、空元素バージョンにしようとか
考えていたわけではありませんでした。
違いについてあえて理由付けをするとすれば、そのときの感覚的なもの、
といった言葉になるでしょうか。

○○バージョンという話は、最初は「そう見えるね」というのが、
伝達されていくうちに、「地元素バージョンや水元素バージョンがある!」
という断定形に変わっていったのかもしれません。
実際、オウムの中の噂話は、だいたいそんな感じでした。

そのため、本当に真相を知りたいときは、話をしている人に聞いて、
最初にその話をした人を特定して確認しなければなりませんでした。
そうやって話を聞いてみると、たいていの場合は、
広まっている話とは違う内容である場合が多かったように思います。

ちなみに、グヤサマジャの噂話では、
描いているのがある政治家の四男の方というのもあるようです。
こちらはオウムの中ではなく、一般の人のネット上での噂話です。
真実のように主張している人もいるようですが、事実無根です。

○○バージョンというのは悪意のない噂話ですが、
一般に流れていた作者の話は、相手を陥れるために
誰かが意図的に流したように思われます。
あまりにひどいことで、根も葉もない噂話を目にするだけで
悲しくなったものです。

と、最後はまったく関係の無い話になってしまいました。
ともあれグヤサマジャの○○バージョンの話は、
見る側の人たちの感想から始まったもの、
と認識していただければと思います。

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グヤサマジャ・後編

前回のグヤサマジャの話のつづきです。

オウムには、出家者のみならず、在家の信徒さんにも伝授されていた
秘儀瞑想というものがありました。
代表的なのは、グルヨーガマイトレーヤ、小乗のツァンダリー、
グルヨーガ、大乗のツァンダリーの四つの瞑想法です。

私がグヤサマジャを描くように依頼された頃は、
これらの瞑想法はまだちゃんとした形で伝授されていませんでした。

たとえば、グルヨーガに関しては、はじめの部分は伝授されていたものの、
最後までいっていませんでした。
グルヨーガマイトレーヤや大乗のツァンダリーの伝授が行われたのは、
もっと後になってからのことです。

つまり、大きな柱とも言える四つの瞑想法のうち
弟子たちに対してはじめて最後まで伝授されたのが、
小乗のツァンダリーだったようなのです。
そして、それは私が、麻原さんからグヤサマジャを描くことを依頼された、
ちょうどそんなタイミングでした。

資料を見直してみると、小乗のツァンダリーは
八回に分けて伝授が行われているので、八日間に渡っての伝授だったと思います。

『メディテーション・セミナー』と題されたそのときのセミナーでは、
すべての日数を受けなければならないという説明はいっさいありませんでした。
場所は、それまでの丹沢や秩父ではなく、
東京近郊に住んでいればいつでも気軽に行くことができる
世田谷の上町にある道場でした。

そのせいかどこか気軽さがあって、好きな時間だけを受ければいいというような
雰囲気だったと記憶しています。
ほとんどの在家の人は、土日だけとかの、
あまり無理をしない時間設定で申し込んでいたようです。

私はそのとき、いつでも出家ができるように
会社は辞めてフリーで仕事をしていたので、
時間はやりくりすれば全日程参加することができました。
実際、八日間すべてを申し込んだのですが、
それを知った親しい人たちから、
「それは貪りだ」と怒られたのを覚えています。

じつはそのセミナーが始まる数日前ほどに、
麻原さんと直接に話をする機会がありました。
そのときに麻原さんは
「じつはこのセミナーは、全部の日数を参加しないと意味がないんだよ」
と、無邪気な笑みを浮かべながら種明かしをしてくれたのでした。

ある瞑想法を完全な形で伝授するのは初めての試みで、
いろんな意味で様子を見たかったのかもしれません。
もしかしたら在家の弟子たちにどれくらいの意欲があるのか
試したのかもしれません。

このとき伝授された小乗のツァンダリーの瞑想は、
貪瞋癡という三毒を使ってエネルギーを上げ、
解脱し、救済していくというものです。
この瞑想法にグヤサマジャが登場します。
ただし、姿形は、私が描くように依頼されたシヴァ神のグヤサマジャと、
まったく同じというわけではないのですが。

小乗のツァンダリーは、密教的と思わせる瞑想法です。
それ以前に、丹沢などで行われた説法でも
タントラヴァジラヤーナに関連する話は、
サラッと流すような感じで出てはいました。
そういった修行体系がいよいよしっかりとした形となってきたのが、
もしかしたらこの頃だったのかもしれません。
もちろん、これはあくまで瞑想修行の話ですが。

この修行からその数ヶ月後、
私はそれまで住んでいたマンションを引き払って
正式に出家を果たすことになりました。
ちょうどオウムの機関誌である『マハーヤーナ』が創刊された頃です。

マハーヤーナもまた、麻原さんの直接指示のもとに作られていきましたが、
それは関わっている人たちの話を聞きながら進めていくという形でした。
麻原さんが要望を伝えるのは本文の部分で、デザインやイラストなどは、
一応のチェックはするものの、口を挟んでも簡単なアドバイス程度という
状況だったように記憶しています。

そのマハーヤーナの創刊号には
私が初めて描いたグヤサマジャが載せられることになりました。
麻原さんからは、初めて描いたグヤサマジャに対して
まだまだ現世的なエネルギーが強いというような指摘を
何度か受けていました。
それでも一度描いたものは
ぞんざいに扱うようなことはないどころか、
最初の予定どおり祭壇に飾った上、
マハーヤーナにも掲載するといったように
とても丁寧に扱ってくれたのでした。

マハーヤーナの創刊号には「文月」(※七月)と書かれています。
この年の八月には、世田谷の松原に東京本部道場、
その翌日には大阪支部道場の道場開きが行われています。
その後も次々と各地に支部が開かれていくわけですが、
その支部の数だけ、私はグヤサマジャを描くことになりました。

余談ですが、私が新たなグヤサマジャを描くたびに、
麻原さんはその時々の私の修行ステージに沿った
評価をしてくれていました。
たとえば、そのときのグヤサマジャの色使いを見て
「ちゃんとアストラルに行っているんだなあ」
といった具合にです。
あるグヤサマジャを描いていたときは、
ずっとシヴァ神に対する強い憧れが出ていたのですが、
描き上がったものを見て、
「シヴァ神ってステキ、シヴァ神ってステキとずっと思念していただろ」
と言い当てられたこともありました。

じつはグヤサマジャの中に描かれているダキニ天女の様子は
最初に描いたものと、その後に描いたものとでは違っている部分があります。
はじめは一つの顔と二本の腕を持っていたのですが、
後になると、ダキニ天女も三面六臂となり、
グヤサマジャとダキニ天女の額には
梵字でオウム字が書かれるようになります。
これももちろん、麻原さんからの直接指示でそうなりました。

それらの指示は、たしか秩父でセミナーを開いていたときに
受けたと記憶しています。
麻原さんの控え室に呼ばれて行ってみると、
やはり、いつものように唐突に
「グヤサマジャとダキニ天女の額にオウム字を入れてもらいたい。
ダキニ天女もパワーアップしてステージをあげるために
三面六臂にしてくれないか」
と、穏やかな笑みを浮かべながら話していたことを思い出しました。

その秩父セミナーは、ちょうど麻原さんが教団名を
『オウム神仙の会』から『オウム真理教』へと変えたいという話を
されたときのものでした。

『オウム真理教』という名前は、そのとき突然に浮かんできたようで、
「これはシヴァ神の示唆だから」
というような話があったことを記憶しています。
意気揚々と話していたのがとても印象的で、
そのときそこにいた弟子たちの一人一人に、
「どう思うか?」と意見を聞いていました。

私がグヤサマジャを描いていた頃は、
こんなふうにいろんなことが同時に動き始めていたのでした。

その後、あるときから少しずつフェイドアウトするように、
グヤサマジャを描く時間が与えられなくなりました。
思い返してみると、完全に描かなくなったのは、選挙が終わった頃でした。
あの選挙のときに、麻原さんの目は完全に見えなくなっています。
そのタイミングでグヤサマジャを描くことがなくなったのは、
いま考えると単なる偶然とは思えないでいます。

グヤサマジャを描き始めた頃は、
そのときの私にとっては不思議とも思えるような
シヴァ神の意思を感じさせるような出来事があったりもしました。
そんな不思議な偶然のような出来事は、
描いている間、ずっと続いていたのかもしれません。

シヴァ神のグヤサマジャの意味合いは、
オウムが起こした数々の事件と切っても切り離せないものが
あったかもしれません。
しかし、描いているときの、あの何とも言えない
静かで穏やかなエネルギーは、
事件のきな臭さとはまったく結びつきません。
いま思い返しても、そんな風に感じるのでした。

これでグヤサマジャの話は終わりにします。
ブログも、またしばらくお休みします。

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グヤサマジャ・前編

※記憶を整理しながら、前に削除した記事を
 少し手直しして再アップします。


出家生活をしていたとき、とくに、出家生活の始めの頃は、
グヤサマジャという本部や各支部の
祭壇に掲げられている仏画を描くことを、
メインのワークとして与えられていました。

三面六臂(さんめんろっぴ・三つの顔と六本の腕)のグヤサマジャは
時代によって、その呼び方は『グヒャサマジャ』など、
少しずつ変わってはいきました。
私がその仏画を描いていたときは『グヤサマジャ』と呼ばれていたので、
ここでは『グヤサマジャ』で統一することにします。

なお、今回のシリーズは、グヤサマジャを祭壇に掲げることになった経緯等を
元TD師から訪ねられ、それがきっかけで書くことにしました。

それでいろいろと思い返しているうちに気づいたのですけど、
自分でこのことについて書こうと思った事柄については、
細かい点まで覚えていることが多いのですが、
人から聞かれたことについては、
残念なことに、記憶が曖昧なことが少なからずあるようです。

聞かれて初めて、思い出す作業を行うといった感じだからかもしれません。

ということなので、そんなことを頭の片隅に置きながら、
これから書くことを読んでいただけたらと思います。


私がグヤサマジャを描き始めたのは、87年の春のことでした。
それは、まだ出家を果たす前、すなわち在家のときでした。

その頃は、麻原さんが陣頭指揮をとって作った
在家の会のグループである青年部に所属しながら、
オウムの活動を行っていました。
『オウム神仙の会』と名乗っていた頃のことです。

前にも書いたかもしれませんが、その頃はまだ
出家という言葉さえも誰も使っておらず、
後の出家者は、そのときは『スタッフ』と呼ばれていました。

スタッフの数は、それほど多くありませんでした。
そのため在家といっても、麻原さんとの距離は、
後に比べればかなり近かったのだと思います。

そんな頃、麻原さんから直接、チャクラ図をはじめとした
数枚のタンカを描いてくれないかと言われました。

私は外で仕事をしていたし、
家賃を払って、普通の生活をしていたため、
麻原さんから、その報酬を払うと言われました。

しかし、バクティーヨーガという奉仕修行の話を何度も聞いていたので、
「報酬なんて受け取れません」と言った記憶があります。
そして、バクティー、すなわち奉仕活動として
チャクラ図のタンカを書く約束をしたのでした。

しかし、普通の生活をしながらタンカを描くということは、
思いのほかたいへんなことでした。
初めての経験でもあり、荷が重いと感じていたのか、
なかなか作業に取りかかることができないでいました。
そんな感じで、およそ数週間近くがたった頃だったと思います。
千葉の自宅に帰られていた麻原さんから、私宛に電話が入ったのでした。

私は、頼まれたタンカは手をつけないままであったのですが、
オウム神仙の会が出していたシャンバラ新聞という会報誌の版下作りを
世田谷の上町で手伝っていました。
そのときだったと思いますが、電話に出てみると、いきなり
「シヴァ神のグヤサマジャを描いてもらいたい」
と言われたのです。

「タンカもまだ描いていません」という趣旨の話を伝えると
「それはもういいから、これから言う内容のマンダラを描いて欲しい。
メモはいいか」と言ったかと思うと、
グヤサマジャの三つの顔の色と表情、六本の手に持っているそれぞれの法具、
そして、ダキニ天女との様子をどのように描くか等を詳しく話し始めました。
私は、頭の中でイメージできることは、できるだけ詳細にイメージしながら、
必死になってメモをとっていたことを覚えています。

そのときの麻原さんは、
これはシヴァ神がグヤサマジャの姿をとっているものだということ、
すなわち、シヴァ神のグヤサマジャなのだということを
何度か強調されていたように記憶しています。

ただ、それだけ詳細にグヤサマジャの様子を話されても、
虹以外の背景等は「あとは任せるよ」ということで、
説明はありませんでした。

つまり、私がグヤサマジャを描き始めたのは、
麻原さんからの直接の指示であったことには違いないのですが、
グヤサマジャについて、細部に至るまでの特別レクチャーを
受けたわけではなかったのです。

一方で、私がイメージできない部分に関しては、
私がイメージできるところまで譲歩してくれたりしました。

例えば、曼陀羅の中で、グヤサマジャの右の一本目の腕には
はじめは曲刀を持たせるように言われたように記憶しています。
しかし、その頃は、法具のことなどほとんど知らない状態で、
曲刀と言われても、それがどんな形のものなのかわからず、
「それは曲がった剣なんですか?刀剣とは違うんですか?」
といったようなことを、しつこく聞き返していました。

すると、麻原さんは、
「曲刀でも長い剣(つるぎ)でも、どちらでもかまわない」
と言われたので、そこは曲刀ではなく、
剣(つるぎ)を描くことになったという経緯がありました。

そうして、長い電話を切った後、私は何を考えたのかということは、
正確には覚えていません。
ただ、たったいま麻原さんから聞いた、
シヴァ神のグヤサマジャという方に対する
強い憧れのようなものが込み上げてきたことだけは記憶に残っています。

そのためなのか、その前に頼まれて放置してしまった
チャクラ図のタンカとは違って、
すぐに作業に取りかかることができたのでした。
私はまだ在家だったので、
そのとき私が住んでいたマンションの一室で
第1作目を書き始めたのです。

そして、麻原さんから電話で依頼があったのは、
ちょうど初めての小乗のツァンダリーの伝授が
スタッフと在家の希望者に対して行われた頃でした。

(次回につづく)

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記事の削除について

教団に出家した当初の頃に、メインのワークとして描いていた
仏画のグヤサマジャについて記事を書いていました。

しかし、コメントをいただいてみると、
私自身、グヤサマジャについて、
肝心な部分の記憶が抜けていたことに気づきました。

元々、グヤサマジャについての記憶は怪しい部分が多いなとは思っていたのですが、
覚えているところだけを書けばいいかと考えて書き始めました。

しかし、考えていた以上に肝心な部分の記憶が
すっぽりと抜けていたことに気づいてしまうと
もう少し、記憶を整理する時間の必要性を感じざる得なかったので、
先日、書いた記事は、いったん削除することにしました。

これだけ長い時間帯の記憶がすっぽりと抜けているのは、
やはりニューナルコが原因とは思いますが、
教団から離れていたということもあってか、
ここまでひどい状態だったことを実感したのは初めてだったりもします。

もっとも、忘れてしまったことは考えられないので仕方がありません。


そもそも祭壇のグヤサマジャは
オウムの解脱のプロセスを象徴的に絵で表したものでした。

一般的な宗教であるなら、貪瞋癡という三毒は
修行によって静めていくものですが、
グヤサマジャは、その三毒を使って
解脱を果たすということが象徴的に描かれています。

だからといって、その三毒の背景にエゴがあるならば、
解脱どころか、悪趣に落ちるのは当然のことです。

そんな解脱か落ちるかの紙一重のような修行法を象徴として掲げ、
そしてそれを瞑想上のみならず、この現実の世界でも行動を起こしていたのが、
オウムの数々の事件の根本にあるものだと考えています。

だからこそ、思い出したくなかったのかもしれません。

前回の記事を再アップするかどうかはまだ未定です。
この記事も、少ししたら消すかもしれませんので、そのあたりはご了承ください。

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