風の彼方へ

そして、いま、ここに在ること

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Posted by machiku on  | 

旅立ちの日 その6

その電話は、KSさんの大学時代の友人の方からでした。
ホスピスにお見舞いに行ったとき、
二度ほど顔を合わせたことがありましたが、
電話番号を伝えていたわけではないので、
ちょっとびっくりしました。

電話に出ると、この友人の方はまず、
KSさんが年のはじめに亡くなったことを教えてくれました。
それから自分の思いを正直に話してくれました、

じつはKSさんは、自分が亡くなったらそのことを、
何人かのオウムの関係者、マスコミや警察の知り合いの人たちに
伝えてほしい、と頼まれたそうです。
そのためのリストまでつくっていたようですが、この友人の方は結局、
「だれにも連絡していない」ということを言っていました。
そして、本当は私に対しても、連絡をしようか迷っていたそうです。
でもKSさんから、私宛の遺品を預かっていたので、
「やっぱり連絡をすることにした」というような趣旨のことを、
早口で話していました。

その数日後、遺品を受け取るために、
私はこの友人の方と会うことになりました。
指定された場所に行ってみると、御見舞のときに顔を合わせた
もう一人の友人の方もいました。
二人とも最初は、少し緊張しているような雰囲気でした。
でも話しているうちに段々と緊張がとけて、
かなり長い時間話し込んでしまいました。

彼女たちは、KSさんが亡くなったときのことを
かなり詳しく話してくれました。

その話のはじまりは、年が明けた日のことでしたが、二人とも、
そのときのKSさんの様子は本当に不思議でならなかった、
としきりに言っていました。

二人が驚いていたのは、KSさんのお母様に対する
態度の変化のことでした。
そのときまでは、誰の目から見ても険悪な雰囲気だったそうです。
それはお葬式のことで、KSさんとお母様の意見が違っていたり、
最後を迎える段階で面会できる人を規制されたことに対して、
KSさんが不満をあからさまに表に出していたからかもしれません。
しかし、その日はいつもと違っていました。
車椅子を押しているお母様に対して、
それまで見せたことがなかったようなとても優しい表情で、
「ありがとう」と言ったそうなのです。

その後、KSさんはベッドに横になり、静かに眠りにつきました。
そして、そのまま意識が戻らず、亡くなったということでした。

二人が驚いたのは、一連の様子が、まるでKSさんが
いままさに自分が逝くと知って
そうしているかのように見えたからだそうです。
もしも身体がすっかり動かなくなって、
意識が朦朧としている状態でそのようにしたなら、
不思議には感じなかったのかもしれません。
しかし、たとえ車椅子での参加ではあったとしても、
その数日前には、KSさんはケーキ作りのイベントに
参加していたくらいに元気な姿を見せていたのです。
二人はその姿を見ていたので、余計に不思議に思う気持ちが
大きかったのではないかと思います。

そして、話を聞いているうちに、KSさんの意識がなくなったその日は、
ちょうど私が青空の中に、麻原さんに導かれていくKSさんの姿を
見たのと同じ日であることに気づきました。

その後、医師が死亡と確認するまでには数日あったそうです。
その間、KSさんは一切苦しむことはなく、
まるで穏やかに眠っているようだったそうです。
そして、そのまま息を引き取り、死に顔は本当に
安らかだった、ということでした。

その後のお葬式は、身内と友人だけの少数で行ったそうです。

そんな話をしながら、二人は私に遺品を渡してくれました。
KSさんから依頼されたというその遺品は、
オウム関係のものがほとんどでした。
その中には、私がまだ入信する前のオウム神仙の会の頃に、
みんなでインドに行ったときの写真なども入っていました。

私は、そのインド旅行は体験していないはずなのですが、
その写真を見ているうちに、
懐かしさがこみ上げてきたような感覚になったのを覚えています。

二人はそのとき、「KSさんが自分の死を知らせてほしい」
といっていたリストも持参していました。
そちらは話し合いの末に、私が預かることにしました。
彼女たちは、KSさん以外のオウム関係者、
それからマスコミや警察の人たちとも、
できれば関わりを持ちたくない、という感じでした。
なので代わりに私が、その役目を果たそうと思ったのです。

とはいっても、私もまったく面識のない
マスコミや警察の方々に連絡する気にはなれなかったので、
直接、あるいは人伝に伝えたのは、
そのリストの中にあったオウムの関係者だけでしたが……。

じつはこのブログでKSさんのことを書いているのは、
そんな事情もあったからです。
希望どおりにすることができませんでしたが、
KSさんが自分の死を伝えたかった人、
とくにマスコミや警察の関係の知り合いの人たちが、
このブログを目にして、KSさんの気持ちを
知ることができればいいな
ということも願って書くことにしたのでした。

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Category : KSさんのこと
Posted by machiku on  | 22 comments 

旅立ちの日 その5

KSさんと連絡が取れなくなってからしばらくして、
年明けを迎えました。
その日、私は用事があって外を歩いていました。
比較的お天気がよく、空には雲もありましたが、
青空が広がっていました。
その空を見上げたとき、不思議な光景が見えたのでした。

そこに見えたのは麻原さんの姿です。
まわりにはダーカやダーキニー(いずれも神々の一種)方がいました。
麻原さんが歩み寄っていった先にはKSさんの姿があって、
そばまで歩いていってそっと彼女の肩に手を回すと、
その一行はそのまま後ろを向いて、彼女を連れて、
空の彼方へと消えていきました。
そんな情景が突然、青空の中にはっきりと見えたのです。

それらの光景は、白銀色の光りに包まれていて
とても美しかった上に
何か気持ちの良さを感じることができるものでした。
こんなことを書くと、変に思われる人もいると思いますが。

そんな光景が消えてから、私は「こんなものが見えた」と、
KSさんにメールで知らせようかどうか、一瞬悩みました。
以前にもこういう不思議な話をしたことがありましたが、
KSさんはいつも「そういう話は好きだから」といって、
興味深そうに聞いてくれていました。
しかし、そのときのヴィジョンは、まるでKSさんの旅立ちを
暗示しているように受け取れます。
そのために知らせるべきかどうか悩んでしまったのです。

でも、それだけに、KSさんの安否が気になったので
その確認もかねてメールをしてみることにしました。
しかし、その後、返事が返ってくることはありませんでした。

その二日後に、再び不思議なことが起こりました。
その頃、私は腕時計をして生活していたのですが、
食器を洗うためにテーブルの上に外して置いていたその時計に、
突然ガラスの部分に蜘蛛の巣状のヒビが入ってしまったのです。

食器を洗っているときに、うしろの方で「パン!」という音が
聞こえた気がしていました。
しかし、振り返っても、そこには誰もいないし、
何も変わった様子は感じられなかったので、
そのまま気にせずにいました。
あとから考えてみると、あの音はテーブルの上に置いていた
時計のガラス面が割れた音だったようでした。

じつはその時計は、数日前に近所の雑貨屋さんで
買ったばかりのものでした。
安価なものでしたが、一応保証がついていたので、
翌日にお店に行ってみました。
私はそのときあまりよく観察していなかったのですが、
お店の人に見てもらって、このヒビは
ガラス面の内側から入っていることを教えてもらいました。

これは珍しいことのようで、お店の人も驚いていました。
どこかにぶつけて外側からヒビが入ることはあるようですが、
内側というのは、ふつうはあり得ないことのようです。
「トラックで運送しているときに気圧がおかしくなったのかな」
というふうにいろいろと推測しながら、
商品の品質が悪いわけではないということを
しきりに説明していました。

ヒビが外からの刺激でなく、内側からの刺激でできたものというのは、
その店員さんにいわれてはじめて理解しました。
そのようにいわれて、私はふとKSさんとの会話を思い出していました。
それは、もう、私をホスピスには呼べなくなるということが
ハッキリしてきた頃のことでした。
彼女は真剣な表情で、
「私が死んだら、必ず知らせるから。
何かの形で、必ず知らせに行くから。」
と言ったのです。

KSさんは、自分ができないことをできるというような
調子のよいことをいうような人ではありませんでした。
その言い方があまりに真剣だったので、私は返す言葉がなくて、
ただ彼女を見つめていました。
するとKSさんは私の顔を見ながら、
「あ、まだ、そんなことができるステージじゃないか」
と苦笑いをして、話題を変えていました。
そのとき私は、もしかしたらKSさんはすでに
バルドーがハッキリと見えているんだろうかと、
そんなことを感じていました。
バルドーというのは、魂が肉体を離れ、今生が終わり、
次の生へと転生するまでの間に通過するところ、
といわれているものです。

そんなやりとりを思い出して、時計の一件は、
KSさんが約束通りに報せにきてくれた印にちがいないと
思うようになりました。
と同時に、かつてKSさんが意識不明で倒れたことを知らせるために
別の存在がしたように割れたのが瓶だったら
すぐにKSさんになにかあったとわかったのに、
その後、掃除をしなくてもいい時計を選んだのが
なんだかKSさんらしい気遣いだな、
なんてことも思ったりしたものでした。

また、この時計の一件があった頃、こんなこともありました。
KSさんと縁が深かった元サマナの女性から電話があったのです。
内容は、
「急に精神状態がおかしくなったんだけど理由がわからない。
そっちは何か変わったことはない?」
というようなものでした。

私はこの元サマナの女性に対して、
「KSさんがバルドーに入ったかもしれない」
といって、自分の身のまわりで起こったことを話しました。
バルドーに入ったときというのは、すでに肉体がなく、
潜在意識だけの世界となるので、精神状態は、
普段の肉体を持っているときよりも激しいものが出てきます。
しかも、身近な人が亡くなったときには、まわりの人も、
少なからずその影響を受ける場合があるのです。
私の体験を聞いてこの元サマナの女性は、
自分もKSさんがバルドーに入った影響を受けている、
というふうに考えたようでした。

こんなふうにして、私たちの間では、KSさんの意識はおそらく
もう肉体から離れている、という認識になっていました。
しかし、残念なことにそれが本当かどうかを確かめるすべは
ありませんでした。

そんなふうに半ばあきらめていたときのことでした。
私の携帯に、見知らぬ番号からの着信がありました。
諸々のことがあってから、
すでに10日あまりが経っていた頃でした。

Category : KSさんのこと
Posted by machiku on  | 13 comments 

旅立ちの日 その4

KSさんとは、再会してから何度も話をする機会がありました。
KSさんの麻原さんに対する気持ちは、
教団にいた頃とあまり変わっていないように見えました。
事件のことは別にして、麻原さんに関しては、
ずっと宗教的な指導者と見ていたという印象でした。

KSさんは、教団の最も初期の頃からいたひとりです。
また、麻原さんが逮捕される直前まで、
麻原さんのすぐそばで活動していました。
ずっと麻原さんのそばにいたのですから、
教団を離れたとはいえ、気持ちが大きく変わることがないのは、
当然といえば当然のことのように思います。

一方で、事件に対してどう考えていたかということは、
よくわかりませんでした。
再会してから、そういった話を一切する機会がなかったからです。
状況が状況だったので、
そういう込み入った話をすることはありませんでした。
いま思えば、その点はちょっと残念だったように思います。

じつはKSさんが麻原さんのことをどう思っていたかということも
あらためて話をしたことはなかったように思います。
でも、とても印象的なエピソードがありました。
それはホスピスに入院していたときのことでした。

KSさんが入院している病室のドアには、
小さなガラス窓がついていて、
外から中の様子がうかがえるようになっていました。
私がKSさんの病室を訪れるときには、
ドアをノックする前にまずその窓から覗いて、
中の様子を確認するのが習慣になっていました。

その日も、ノックをする前にその窓を覗いていました。
するとドアの正面の窓際に置いてあるテレビの画面に、
そのときはまだ教団にいたJさんが映っているのが見えました。
KSさんは、病院の人たちに自分の経歴などは
明かしていませんでした。
そこで私はすぐに扉をあけて、彼女のそばにまで行って、
「外から見えている」と小声で伝えました。

私はてっきりKSさんが、外から見えていることに気づかずに、
DVDか何かを見ているものと思っていました。
しかし、それは勘違いで、彼女の見ていたのは、
リアルタイムで流れていたニュース映像だったのです。
彼女はテレビのすぐ前に椅子を置いて、座って見ていたのですが、
私に向かって、「大丈夫。これはニュースだから」
といって、またテレビに見入っていました。

その頃は、私は教団にほとんど関心がなかった時代です。
情報を入れてなかったので知らなかったのですが、
ちょうど教団が分裂する直前の頃だったようです。
それでJさんがインタビューを受けていたのでしょうが、
KSさんと一緒に観ることになった彼の話は、
事件以外の麻原さんの考え、やってきたことまでを
否定するような内容でした。

それを聞いていたKSさんは、テレビの中のJさんに対して、
「それはまちがってるよ。君の考えはまちがってる」
と、ハッキリした強い口調で話しかけていました。
それがまるで、目の前にJさんがいるかのような話しぶりで、
強く印象に残りました。

そんな姿を目の当たりにした私は、
KSさんは麻原さんに対しては、
深く信頼を持ち続けていたんだなと感じたものでした。

その一方で、教団に対しては、不信感のようなものを
持っているような印象を受けました。
それは私への気遣いから感じたことです。

その頃、KSさんは、最後のお別れをするために、
今生、縁のあったいろいろな人を病室に呼んでいました。
その中には、教団に残っている人たちもいましたが、
「彼らと話をしても不愉快になるだけだから」
といって、私が彼らと鉢合わせになるのを、
意図的に避けてくれていたようなのです。

なぜ不愉快になるかは、理由をハッキリと
聞いていないのでわかりません。
ここからは私の推測になりますが、これは現役と元を含めて、
教団に関わった人たちには、「自分が一番正しい」と思う一方で、
「自分とちがう道を歩いている人はまちがっている」という、
単純な発想をする人が多いからではないかと思います。

こんな風に、自分とちがう相手を受け入れることができないと、
無意識のうちに、その態度は相手を否定することになります。
そうなると、ちがう道を歩いている人と話をした場合には、
相手は当然、よい感情を持てないのは自然なことです。

また、当時はいわば、教団の分裂が
リアルタイムで進んでいたときです。
教団内部にいた人たちは、とくにピリピリしていたことでしょう。
その排他的な心が、ときおりKSさんに向けられることもあって、
それが「不愉快になる」という言葉に
つながっていたのかもしれません。

KSさんは、こんなふうにいつも相手のことを気遣う人でした。
それは死を目前にして、自分自身が
一番辛い状況にある中でも同じでした。
私が見ていたKSさんは、最後までずっとそんな感じでした。
死を恐れている様子は、微塵もなかったのです。

しかし、そんなKSさんですが、こうやって
いろんな人を病室に呼ぶことを、ある時期からやめました。
それは彼女自身の身体が次第に弱ってきて、
自身の転生の準備のための時間を多く取りたかったからのようです。
それからもうひとつ、KSさんのご家族が、当たり前のことですが、
オウムのことをよく思っていなかったことも大きかったようです。

KSさんは東京都の出身です。
ご家族の知人や友人の中には、地下鉄サリン事件の
被害者の方もいたようで、脱会した彼女が
教団関係者と少しでも関わることは疎まれていたようです。
私の印象では、ご家族の方々には彼女の人生の多くを奪った
(と思っている)オウムとは、ほんの少しであろうとこれ以上の
関わりを持って欲しくないという気持ちが強いようにも感じました。

とくに否定的だったご家族の一人は、じつはKSさんよりも先に
ガンを患っていたということです。
発症はKSさんのほうが遅かったのですが、若かったので進行は早く、
結果的にこの方がKSさんを看取る形になったのでした。

そんな状況だったので、KSさんが希望していた
遺骨の散骨も実現は不可能でした。
ご家族の方は、自分が信じる方法で「供養」をしたかったようで、
KSさんが「せめて半分だけでも散骨させて欲しい」と頼んでも、
願いは最後まで聞き入れられることはありませんでした。

そんなこともあって、KSさんはある時期から、
病室へのオウム関係者の訪問をストップさせました。
そのことに関してKSさんは、「もう最後の挨拶はできたから」
と、さばさばと話していました。
私に関しては、その時点でオウムとまったく関わっていなかったので、
最初は問題なく面会することができました。
散骨を頼んでいたくらいだったので、KSさんの希望では、
私にはお葬式にも参加してほしかったようです。
しかし、ご家族の方が頑なで、
最後まで首を縦に振ってくれませんでした。
そんなこともあって、最後の方は、
ご家族と鉢合わせにならないようにKSさんが時間を指定して、
そのタイミングで病室を訪れるという形になりました。

しかし、KSさんの体がどんどん弱ってくると
そういった配慮をすることさえも難しくなったようです。
そのため、最後の数週間は、
KSさんに会うことができなくなっていました。

そんな頃、KSさんからもらった最後のメールには、
「これから、ホスピスのイベントで
ボランティアの人たちや患者さんたちとケーキ作りを行います。
ささやかな楽しみです。」
といった内容のことが書かれていました。

おそらくは、まだ生きていますよ、ということを
知らせるために打ってくれたのだと思います。

しかし、いつもは長文のメールが多かったのに、
このときはかなり短いメールだったので、
体が相当に弱ってきているのかなと感じたりもしました。
このメールのとおり、ケーキ作りに参加したとしても、
車いすでの参加が精一杯だったのではなかったかと思います。

そして、そのメールから一週間も経たない頃です。
私のまわりで、また不思議なことが起こったのでした。

Category : KSさんのこと
Posted by machiku on  | 8 comments 

旅立ちの日 その3

KSさんとは、私の自宅に来てもらったのを最後に
しばらく会っていませんでした。
メールもその後は、10日あまり途切れていました。
その頃、不思議なことがありました。

それはまだまだ、ジリジリとした夏の暑さが残っている頃でした。
自分の部屋にいたとき、いきなりパンッという大きな音がしたのです。
振り返って見てみると、ただそこに置いていただけの瓶が、
何もしないのに割れていました。

その瓶には、きれいな色の液体が入っていました。
それはちょうど、KSさんが我が家に来たときに、
「きれいだね」と言っていたものだったのです。

それを見てすぐに、KSさんになにかあったのではないか
と思いました。
何か別の存在が、KSさんの異変を私に知らせてきたような、
そんな気持ちになったのです。

胸騒ぎがしたので私は、急いでKSさんに電話を入れてみました。
しかし、電話はつながりませんでした。
そこで次に、メールを入れてみました。

「ご無沙汰していますが、体調の方は大丈夫ですか。
なにか変化がありましたら、すぐに連絡をください。」

メールの内容は、こんな感じだったと思います。
やはりというか、返事はすぐには来ませんでした。

何もしていないのに粉々になってしまったガラスの破片を
拾い始めたときに私は、
もしかしたらKSさんは、いつもとても気丈な態度に見えたけど、
その心の奥底では、孤独感を感じていたのではないのだろうか、
と思いました。

そして、もしかしたら、そういった孤独感によって
体中に病気が蝕むことを許してしまったのかもしれない、
と思ったのです。

KSさんが、私に出会うまでは、
病気を治すことに専念していたと聞いてはいました。
だからそのとき感じたことは、私が彼女からの、
一緒に喫茶店をやろうという提案を
むげに断ってしまったことへの
自責の念から出てきたことかもしれません。

いずれにしても私は、突然割れたガラスの破片を片づけながら、
そんなことを感じていました

それから三日ほど経って、
ようやくKSさんから返信メールが来ました。

「バタバタしていて、返事が遅れて申し訳ありません。
ちょうど連絡をもらったときは、意識不明となって倒れてしまい、
救急車で運ばれていたときでした。
いまはホスピスに入院しています。」

といったような内容でした。

意識不明で倒れていたのに、
「バタバタしていた」と表現するところに、
KSさんらしさを感じました。
一方で、彼女がホスピスに入ったことに、
なんだか複雑な気持ちになったことを覚えています。

その数日後に、私はメールに書かれていたそのホスピスを訪ねました。
そこは都内のある大きな病院の最上階でした。

KSさんの病室は、とても清潔感にあふれていました。
窓からは、都内の街が遠くまで一望できる景色が広がっていて、
私が勝手に想像していたものより、
はるかに明るい印象を受ける場所でした。

そのときのKSさんは、なにか吹っ切れたような落ち着きと
明るさを醸し出していました。
それはとても余命数ヶ月ということは想像ができない姿でした。

KSさんは私の顔を見て、
「あまりにタイミングのいいメールにビックリした」
といいました。

そこで私が
「あのきれいだといっていた瓶が割れて、
誰かが知らせてくれたんですよ。」
というと、さらに驚いた顔をしていました。

そんな話から始まって、次第に
KSさんの状態についての話になっていきました。
そのとき彼女は、

「手術はもうやらないことにした。
手術をすればあと半年長く生きられるといっても、
身体が衰弱して管だらけで生きていないといけないらしい。
そうまでして生きていたいとは思わない。」

そして、

「そのときが来たら、もう延命治療はやらないということで
担当医には話をしてある」

といったような内容のことを、淡々と話してくれました。

そして次に、私に対して死んだ後のことを頼んできました。
KSさんの希望は、自分の骨を
富士山の見える場所に撒いて欲しい、というものでした。

私は二つ返事で承諾したのですが、
残念ながらそれは実現することがありませんでした。

Category : KSさんのこと
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旅立ちの日 その2

KSさんとはメールで何度かやりとりをした後、
表参道の、ある自然雑貨屋さんの喫茶室で会うことにしました。

ハーブティーをメインにしているその喫茶室は
飾り気がなく、とてもシンプルなレイアウトのお店でした。

その喫茶室の片隅の席に着くやKSさんは
「こんな感じの喫茶店がやりたかったんだよね」
と、つぶやくように言っていました。
その言葉が印象に残りました。

じつは、そこからさかのぼること数年前に、
「一緒に喫茶店をやらないか」という話を
やはり人づてにKSさんからもらっていました。

そのときはあれこれ考えて、断っていました。
喫茶店をやるとなると、調理や掃除の他にも経理などといった
雑多なことをやらなければいけません。
そのどれをとっても、私にとっては苦手意識を感じるものばかりです。
逆にKSさんは、意外に思われるかもしれませんが
家庭的な一面を持っていて、
それらすべてを、とても上手にこなすことができる人でした。
それだけに、私ができることは何もないように感じて
お断りしたのでした。

久しぶりに再会したKSさんは、先ほどの言葉に続けて、
「教団から出てきた元サマナの人たちは
一般の社会の中では行き場が無いと感じている人が多いだろうから、
そんな人たちが、気軽に集える場所をつくりたかった」
といいました。
私はそのとき初めて、KSさんが喫茶店をやりたいといった
真意を知りました。
その言葉に、少しだけ胸が締め付けられるようになりました。
それはあのとき断ってしまったことへの後悔の念が、
少なからず出てきたからかもしれません。


そんな話から始まって 、話は何時間も尽きませんでした。
その中でKSさんは、その時点で
あと余命半年と宣告されていることを教えてくれました。
そして、自分の身の上に対して、こんなふうにも言っていました。

「医者からは、手術をすればもう半年ほど長く生きられると言われた。
でも私には、何かや誰かのために
少しでも長く生き続けなければという強い動機があるわけでもないし、
それよりそろそろ身辺整理の計画をしたほうがいいと思っている。」

さらに続けて、

「これまで病気を治す方法がないか、さんざん探したけど、
良い方法を見つけることはできなかった。
生きることに必死になって、何か方法を探し続けることと、
それとは別に、次の転生のために準備をすることの両方をすることは
私にはできないから、どちらかを選ぶことに決めた。
私は、これからは次の転生のための準備をしようと思う。」

と、こんな趣旨のことを話してくれたのです。

私は、生きることに必死になることと、
次の生の準備をすることの両方はできないというその言葉に
深く納得しました。
私も同じ立場だったら、まったくそう思うだろうと感じたからです。

同時に、KSさんのそのときの状況を想像して、
彼女の考えを理解してくれる人が周りに誰かいるのか、
ということが心配になりました。
KSさんは刑に服して世間に戻った後は、教団に復帰することなく、
そのときは実家のそばで一人暮らしをしているという状況だと
聞いていたからです。

オウムに身を置いた人に限らず、輪廻転生を信じているなら、
KSさんの気持ちはある程度、理解できるでしょう。
しかし、世間のたいていの人は、いま生きているこの生がすべて、
と考えています。
そういう人には、KSさんの考えは
とうてい理解できるものではないはずです。
も しもKSさんがいるのがそんな環境の中で、
一人黙々と次の生の準備を進めなければいけないとしたら、
それは精神的にかなりきついのではないかと感じたのです。

そこで私は、私自身がKSさんの理解者になろうと考えて、
KSさんのその考えに全面的に同意し、協力できることがあれば、
できるだけのことをするという趣旨のことを伝えました。

誤解のないように付け加えておくと、もちろんそのときの私には、
KSさんの死を望む気持ちなどみじんもありませんでした。
むしろできるかぎり長く生きて欲しいと思っていました。

ふつうなら、死を目前にしているというその状況だけでも、
肉体だけではなく、精神的にも相当にきついはずです。
そんな中で、まわりに誰も理解者がいないということは、
相当に辛いことです。
だから、少しでも気持ちが楽になる手助けになるのならと、
次の転生の準備をするための協力者になることを申し出たのでした。
これには彼女もたいへん喜んでくれました。

そして、その数週間後、KSさんは、そのときに住んでいた
私の自宅を訪ねてくれました。

その後、私は頻繁にKSさんと会うようになりますが、
その場所はあの喫茶室でも、私の自宅でもありませんでした。

そのあたりのことは、また次回に書きたいと思います。

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Posted by machiku on  | 6 comments 
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