風の彼方へ

そして、いま、ここに在ること

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Posted by machiku on  | 

オウムの予言 ハルマゲドン編その2

オウムの末期の時代には、外の世界ですぐに戦争が起こるかのような、
ちょっと危険な空気が感じられました。
これは麻原さんが意図的につくったものだと思います。

それは前回書いたように、弟子の心の汚れを現象化するための
マハームドラーというのが一つの理由だったのかもしれません。
いずれにしても、オウムが起こした事件のほとんどは、
そういった修行と関係していたと考えられます。

私がそう見ているのは、以前、護摩法が行われていた時代に、
麻原さんからこんな話を聞いたこともあったからです。

護摩法というのは、火によって神々に供物を供養する宗教儀式です。
オウムでは富士山総本部道場ができた頃に、集中的に行っていました。

護摩法は、師が担当していたのですが、麻原さんと一緒に行うことが多く、
そのときにはいろんな話を聞くことができました。
説法とはまたちがった形で、法則の話が聞けるのですが、
その中の一つに、こんな話がありました。

「歴史を見ると、文明が大きく発展しているのは戦争のときなんだ。
 いまの日本は戦争と関係のない平和な状態が続いているけど、
 安穏と生きられる環境というのは、修行向きじゃないんだね。
 そういう中で流されて生きるのは、草食動物に生まれ変わる因を
 つくっているようなものなんだ。」

麻原さんが説いていた教えは、「カルマの法則」を大前提にしていました。
すべての現象には、それを引き起こす原因が必ずあるという考え方です。
いま起こっていることは、過去になしたことによってもたらされたものです。
そして、未来の状態はいま行っていることによって決まり、
それは来世、どこの世界に生まれ変わるかを決める因になります。
そのように考えていたので、慚愧(謙虚さ)と不放逸(勤勉さ)を持って
修行に励むようにと言っていました。

「安穏と生きること」が「草食動物に生まれ変わる因」になるというのは、
いまの感覚ではちょっとわかりにくいかもしれません。
こういう言い方をしたのは、おそらく当時の世の中には
まだバブルの雰囲気が残っていて、いまよりもさらに、
人々が享楽的な生活を好む傾向があったからだと思います。
平和な時代は、満足感が満たされて、人はそれ以上の努力を怠りがちです。
しかも、それが享楽的な欲求を満たしてくれるものだとすると、
意識状態はかなり堕落しているので、それは動物の状態と同じであり、
そういうものへ生まれ変わる因をつくっているようなもの、
ということをこのときには言っていたようでした。

その反対に、戦争のときというのは、人々はいつも緊張を強いられています。
これでは心が休まる暇がないのでたいへんですが、
こういう環境では、人は命がけの努力をすることになります。
実際、鉄砲や戦車などの戦いを有利にするための武器開発を通じて、
人々はこれまでなかった技術を必死になって生み出してきました。
そういうものが修行の目的の一つである、智慧の進歩に通じるので、
戦争時の環境が修行に適している、ということを言いたかったようです。
そして、そういった必死の努力が、先ほども書いた
修行の大事な要素のひとつである
「不放逸(勤勉さ)」につながることにもなります。

オウムの動きというのは、理屈で考えてもよくわからない、
不可解なことがたくさんありました。
それは内側にいても同じです。
とはいえ、麻原さんとのこういう何気ない話の中に、
謎を解くヒントが隠されていることはよくありました。
そう考えると、このときの話もまた、後の時代のことを示唆していた、
というふうにとらえることができるわけです。

つまり、戦争時に見られる命がけの努力を、
魂を進化させていく修行のエネルギーとして利用するために、
起こらないはずの戦争がいますぐにでも起こるかのような雰囲気を、
麻原さんは意図的につくっていたのではないか、ということです。
この見方のほうが、世間でいわれている「自作自演のハルマゲドン」や
「王になるための戦争」などより、私にはしっくりきます。

脱会してからあらためて知ったことですが、サリン事件のはるかに前から、
オウムではボツリヌス菌や炭疽菌などを武器利用する研究を行っていたり、
自動小銃などの武器をつくっていたと聞きました。
これには正直、オウムにいた私もびっくりしました。
でも冷静に考えてみたときには、それらの多くが実際には殺傷能力がなく、
使えないものばかりだったことに気づいて妙に思いました。
本気でテロ活動や戦争を行うつもりだったら、
そんなことはあり得ないと思えたからです。

また、オウムが目指していたのが、
テロ活動や戦争を起こすことだという前提で考えると、
もう一つ大きな疑問にぶつかります。
それはこれらの武器を、自分たちの手で開発することにこだわっていた点です。
本当の目的がテロ活動や戦争を起こすことにあるなら、
それに使う武器を自分たちで一からつくるようなことをする必要がありません。
あるものを購入するとか、それを改造するとかしたほうが、
はるかに手っ取り早く準備ができるからです。
むしろそれらを使いこなす訓練のようなことに力を注いだほうが、
結果が出しやすいのではないでしょうか。

そもそも私が知っている麻原さんは、かなり合理的な考え方をする人です。
オウムはいつも、目標に向かって最短距離を進んでいました。
ときどきまわりくどいことをすることもありましたが、そういうときは
だいたい修行が関係していました。
修行を進めるために、あえて回り道をすることがあったのです。

だから最短距離を進まずに、武器を一から自分たちでつくったのは、
私には「真の目的は別のところにあった」としか思えないのです。

おそらく麻原さんは、真剣に社会を転覆させようとか、
戦いに勝つなどということは、考えていなかったように思います。
目的は武器をつくることそのもので、
それを智慧の修行にしようとしたのではないかと思います。
末期の時代はよくわかりませんが、少なくとも武器をつくり始めた当初は、
そうだったのではないでしょうか

たとえば、石垣島セミナーのときには、在家信徒やサマナと一緒に、
馬などの動物をフェリーに乗せていたという話があります。
これは後に、「ボツリヌス菌の血清をつくるために連れていった」
ということになっているようです。
それで納得している人もいるようですが、これだって疑問があります。

自分たちを守るために血清が必要というなら、ボツリヌス菌を撒く時点で、
血清ができていないのはおかしなことです。
以前、調べたことがあるのですが、
血清をつくるには半年程度の時間が必要ということでした。
そういう時間のかかる作業を、
道具も場所もない避難先で行うということもおかしなことです。

そんなふうに考えていくと、
これらはだれかに向けた演出のように見えてくるのです。
なにも知らずに避難していた人たちには、
動物まで乗せた石垣行きのあのフェリーを、
「ノアの方舟」のように見せたかったのかもしれません。
また、ボツリヌス菌づくりに関わっている人には、
血清づくりの準備までしているところを見せて、
プレッシャーをかけていたのかもしれません。

もちろん、これらは見る人が見ると簡単に見破ることができる、
かなり雑な演出だとは思いますが。

じつはオウムの最後の時期にも、こういう演出じみたものがありました。
振り返ると、そのように見えることが多々あるのです。
後に知ることができたオウムの戦争計画には、
大きな抜けのようなものがいくつもあります。
それらを見ていると、麻原さんが真剣に戦争を行うつもりでいたとは
とても思えないし、なにか別の意図があったように思えてならないのです。

たとえば、教団末期の計画の一つに、70トンのサリンをつくり、
それを使って1995年の11月に戦争を始めるという話があります。
これを実現する場合、サリンをどのように撒くかが問題になります。
しかし、これに関しては、真剣に検討されていたようには見えません。

聞いたところでは、オウムでは70トンのサリンを撒くために、
大型ヘリコプターと、2万個の小型散布機を用意したということです。

大型ヘリのことは、教団の中にいた頃から、噂で聞いていました。
しかし、私が教団の中で聞いたのは、
「ティローパ正悟師(早川紀代秀死刑囚)が、飛べないヘリコプターを
 ロシアから購入したらしいけど、なにに使うんだろう」
という話でした。

ヘリコプターの操縦のために、2人のサマナが
免許取得に挑んだという話も聞きましたが、
そのうちの1人は途中で、教団から黙って出て行きました。
この人のことはよく知っていたので、話はすぐに伝わってきました。
そして、その後に欠員となった操縦士の補填が行われたという話は、
最後まで耳にすることはありませんでした。
私の記憶が消えたからではなく、まわりに聞いても同じです。

やはり最後まで聞くことがなかったのは、
ヘリコプターの整備をする人の話です。
整備の仕事は、操縦士に比べると地味で目立たないものですが、
絶対に無くてはならない役割のはずです。
飛ばない(正確には、飛べない、かもしれませんが)状態のヘリコプターを
購入したのであればなおさらです。

このヘリコプターを本当に飛ばそうとしていたら、操縦する人より優先して、
整備の準備をしなければならないはずです。
でもそういう話は、裁判を通じて明らかになった事実にも
なかったように思います。
そうだとすると、ヘリコプターを本気で飛ばすつもりだったのか、
疑問ということになります。

こうした視点で見ると、70トンのサリンを撒くためとされた、2万機の
小型散布機に関しても同じ疑問があります。
これらをだれが操縦するかということです。
散布機をたくさん用意したところで、操縦する人がいないと話になりません。
まして当時は、大半のサマナはサリン製造のことをまったく知らなかったし、
散布計画にもまったく関わっていません。
そんな状況なので、いきなり2万機という数字をあげられても、私には逆に
リアリティがない荒唐無稽な数字にしか思えないのです。

オウムの末期には、麻原さんが教団施設を出て、
ホテルを泊まり歩いていたことがありました。
当時、これは「米軍からの攻撃を避けるため」と説明されていました。
これが被害妄想であったことは、いまでは明らかになっています。
でも私には、これすら演出で行っていたことのように思えています。

じつは同じ時期、サマナたちは「グルタチオン」という
解毒剤を飲まされていました。
理由は、米軍から攻撃を受けているからだとされていました。
あとでわかったことですが、このとき同じ敷地内で、
オウム自身がサリンをつくっていました。
麻原さんはかなり用心深い人なので、こちらは自作のサリンか、
あるいは他の兵器用の細菌などが漏れ出したときのことを考えての
指示だったのかもしれません。
ちなみに、教団施設のあちこちで、空気清浄機のコスモクリーナーを
動かしていたのも同じ理由ではないでしょうか。

オウムがサリンを撒いた理由については、一般的に強制捜査の回避や、
自作自演のハルマゲドンなどがあげられているようです。
これらはいずれも、私にはしっくりきません。
あの時点でサリンを撒くことが、強制捜査の回避にはつながらないことや、
ましてやハルマゲドンという世界最終戦争の実現につながらないのは、
だれの目にも明らかだからです。

それより修行的な意味合いに理由を求めたほうが、
やはり私には納得がいきます。

事件前に麻原さんは、
「今後は『麻原彰晃』という名前のために、
 君たちは強烈なバッシングを受ける」
というような話を何度かしていました。

あの事件が仮に予言の成就のためのものだとすると、
そういった状況を実際につくるためのものだったと考えたほうが、
私にはすんなり受け入れられます。
テロを起こすのが目的ではなく、それが失敗して、
世の中全体がオウムを徹底的に叩くような状況を
つくりたかったのではないか、ということです。
そのことによって、オウムにかかわった人たちがカルマを落とし、
さらに修行を進めさせることを目的として、あえて仕組んだ、
というふうに感じられるのです。

この見方が、世の中の人たちに到底納得できるものでないことは、
よくわかっています。
でもオウムの内部をよく知る者の目線から見た場合には、
こういう見方もできるということを知ってもらう意味で、
ここに書くことにしました。

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Category : オウムの予言
Posted by machiku on  | 29 comments 

オウムの予言 ハルマゲドン編その1

オウムの予言の中で私が最も違和感を感じていたのは、
やはりハルマゲドンに関するものでした。

ハルマゲドンは、世界の終末における最終的な戦いのことです。
これに関してオウムでは、第三次世界大戦のようなものが起こり、
そのときに人類が壊滅状態になるとされていました。

じつは麻原さんが予言していたハルマゲドンの時期は、
そのときどきで変わっていました。

最も多く言われていたのは「1999年」です。
それが最後の頃になると、「1997年」に変わっていました。
この変化の詳しい経緯については、後ほど書くことにします。

麻原さんのハルマゲドンの予言を聞くとき、
私はいつも混乱していたのを覚えています。
まるで二つの時代の話を、
一緒くたにまとめて話しているような感覚があったからです。

たとえば、ある説法では、ハルマゲドンが起こるまでの経緯について、
こんなふうに話していました。
最初に起こるのは、日本がアジアから叩かれる状況で、
それは日本がオウムを叩いたカルマによって起こるというものです。
そして次に、アジアが日本を叩いたカルマによって、
今度は世界から叩かれるようになります。
その後、日本がアジアを率いるリーダーとなって、
世界大戦が起こるということです。

このようにして起こるとされていたハルマゲドンの時期は、
1999年だったように思います。
オウムの中では、麻原さんが次から次へといろんなことを行うので、
時間の流れがとても早く感じられました。
しかし、一般の社会の動きはゆるやかで、この予言の中身は、
私にはあまりリアリティのあるものには感じられませんでした。

たしかにオウムは、1989年の『サンデー毎日』誌の報道をきっかけに、
世間からバッシングを受けることになりました。
その後、国土法違反のような形式犯で関係者が逮捕されたり、
大がかりな強制捜査が行われるなど理不尽なこともあるにはありました。
しかし、バッシングとしてはまだ、それほど激しくはありませんでした。
むしろ私の中には、「この程度のことで本当に世界大戦に発展するの?」
という素朴な疑問もあったくらいです。

しかも、この頃はまだ世間の側に、
オウムをそれなりに評価する声もありました。
麻原さんがテレビや雑誌に積極的に出ることで、世間のオウムに対する
評価が変わるのを肌で感じることができた時代でもあったのです。
もちろん、世の中のすべての人がそうだったわけではありません。
でも一部には、そういう人たちがいたのはたしかだと思います。

なので当時のバッシングが世界大戦につながるという受け止め方は、
私にはできませんでした。
麻原さんの予言を感覚的に受けとめると、ハルマゲドンが起こるのは、
もっとずっと先のように聞こえていたのです。
でも示されていた時期は1999年です。
そこで、あるときいきなり世界の情勢が動くことになるのかと、
そんなふうに考えたりもしていました。

そのような私の見方は、そのうちに完璧に覆されることになります。
それは1994年から1995年の間の、麻原さんの二つの説法によってです。

このあたりの記憶は曖昧なのですが、
それはその説法の後からの記憶がないからです。
消えている部分は、曖昧な夢のときの意識みたいなもので、
起こったことの順番がわかりにくくなっている感じです。
説法を聞いて思ったことはハッキリと覚えてはいるのですが、
これから書くことに曖昧な点があるのは、
そのような理由からだとご理解ください。

まず一つめの説法は、ノストラダムスの有名な予言に関するものです。
「1999年の7の月にハルマゲドンが起こる」というのがありますが、
これは後世の人たちが占星術の星の配置から判断して解釈したもので、
実際にはそのときにハルマゲドンは起こらない、
というようなことを話していたと思います。

その説法を聞いたときに私が心の中で考えたのは、
「やっぱりハルマゲドンが起こるのは、もっとずっと先なんだ」
ということでした。
麻原さんの話が自分の見方と一致していたので、モヤが晴れたように、
スッキリした気分になったのでした。

しかし、その数日後に行われた説法で、
今度は以前にも増して混乱することになりました。
そのときにはいきなり、「ハルマゲドンは1997年に起こる」
という話になっていたからです。

その説法を聞いたときの私の反応は、自分でも意外なものでした。
直感的ではありましたが、深い確信を持って、
「本当は1997年も1999年もなくて、
最初からマハームドラーで話されていただけ」
と心から思っていたからです。
まるでどこかから、そういう意識が私の中に突然入ってきたような、
そんな感覚でした。

これは直感的に感じたことなので、理屈で説明することができません。
ほとんどの人に理解してもらえないかもしれないことはわかっていますが、
本当にそのように感じたのですから仕方がありません。

そして、このときの私は強い確信を持って、
「1999年までにハルマゲドンが起こることはない」と思っていました。
麻原さんの二つの説法は、そのことを私に伝えるためのもので、
だからあえて脈絡のない話をしていたと解釈していたくらいです。

ちなみに、この見方については、当時だれにも話しませんでした。
それは「ビニールシェルター編」で書いたように、オウムの中には、
グルの仕掛けるマハームドラーに素直に引っかかった方が修行は早く進む、
という考え方があったからです。

この説法の後、突然1997年へと早まったハルマゲドンに向かって、
教団の中の雰囲気はどんどんおかしくなっていきました。
そういう姿を見るにつれて、じつは他の人とはまた別の意味で、
私は冷静でいられなくなりました。

オウムの末期ともいえる時代には、ヴァジラヤーナと称して、
「ハルマゲドンは教団が起こす」と考えていた人たちがいたようです。
全体から見ればごく一部になりますが、この人たちの中には、
浮かれているように見える人もいました。
まるで戦争ごっこを楽しんでいるような、妙な高揚感に包まれた雰囲気が、
男性のサマナの一部にあったのです。

じつは当時はまだ、その高揚感の正体がよくわかっていませんでした。
理解できたのは、最近読んだ元幹部のインタビュー記事によってです。
そこには「戦争に対する憧れがあった」という記述がありました。
それを見て、あの高揚感はそういうものだったとわかったのです。

そして、そのことを前提にして考えているうちに、
ハルマゲドンの予言の目的の一つに、一部の人たちの潜在意識にあった
「戦争に対する憧れ」のようなものを具現化させることがあったのではないか
と思うようになりました。
断片的な当時の記憶の中に、そう感じさせるものがたくさんあったからです。

たとえば、その中の一つに、こんなものがあります。
それは諜報省の長官をやっていたA君に関する記憶です。

知っている人は、イニシャルにしようとだれのことかすぐにわかると思います。
彼は教団の末期の諸々の事件のキーパーソンともいえる立場にいました。
私は、A君は教団をつぶすための起爆剤のような役割があった、
というふうに考えています。
そのことの詳細を書くかどうかは、じつはまだ決めかねているところです。
万が一、書いたときには、単に事実関係を並べただけであっても、
個人攻撃のようになってしまいかねないという危惧があるからです。
なのでここではとりあえず、匿名にすることにしました。
おそらく気休めくらいの意味しかないとは思いますが……。

話を戻します。
私はその頃、サマナの修行の管理をするワークを担当していました。
危険な秘密ワークとはまったく無縁のものです。
そこにあるとき、なんの用事もないはずのA君がやって来ました。
そして、嬉しそうな顔をしながら「ちょっと見てください」といって、
手に持っているものを見せてくれました。

それは運転免許証でした。
私は最初、A君は車の免許を持っていなかったので、
免許を取ったことが嬉しくてわざわざ見せに来たのかと思いました。
しかし、話をしているうちに、そうではないことがすぐにわかりました。
その免許証の写真は彼のものでしたが、指さした場所に書かれていたのは、
まったく知らない人の名前だったのです。
私が呆気にとられているのをまるで楽しんでいるかのように、
「本物そっくりでしょ。これが偽造免許証だなんてわからないでしょ」
と、彼はウキウキしながら話し続けていました。

「なんのために作ったの? まさか使ったりしないんでしょ?」
と私が聞き返しても、彼はニヤニヤしているだけです。
そして、なにも答えずに、そのうちにその場から立ち去っていきました。
そのとき私のまわりには、秘密のワークのことなど知らない女性サマナが
何人かいて、A君が差し出した偽造運転免許を一緒にのぞき込んでいました。
みんな明らかに戸惑っていましたが、彼にはまったく気にならないようで、
始終浮かれていたような様子です。

おそらく当時のA君は、担当していた諜報省の仕事が、
心から気に入っていたのでしょう。
私にはそう見えました。
まるで子どもが大のお気に入りのおもちゃを与えられたような、
そんな雰囲気があったのです。
それはグルのお墨付きをもらって、公然とスパイごっこをやっている姿
といっていいのかもしれません。

本来であれば、こういうものはそのワークに関わっていない人には
秘密にしなければならないことでしょう。
そんな気遣いがないどころか、逆に自慢げに見せびらかしているのですから、
私にはもう遊び感覚にしか思えなかったのです。

オウムの末期の時代には、こんな浮かれた雰囲気が蔓延していました。
当時のことは、一般的には「ハルマゲドンを起こそうとして失敗した」と
説明されているようですが、これに私が違和感を感じるのは
そのような事情があるからです。
関わっている人たちが「戦争に対する憧れ」を背景に事件を起こしていたら、
それは「救済のための聖戦」であるはずがありません。

よくいわれることですが、平和な時代に人を殺せば厳しく罰せられものの、
戦争時は多くの人を殺せば殺すほど英雄とされます。
ヴァジラヤーナのワークに関わっていた人を突き動かしていたのは、
もしかしたらそういう考えだったのかもしれません。

しかし、動機の部分を考えてみると、私にはオウムによる一連の犯罪が
聖戦だったとはとても思えないわけです。
実際、関わっていた人の中には、自分の潜在意識にある攻撃性を正当化するために、
グルから与えられた「これは聖戦」という口実を利用していた人もいたと思います。
これは当時の雰囲気を知っている人なら、だれも否定できない事実ではないでしょうか。

そして、それはまさしく、心の奥底に隠れていたものを引き出されている
グルからマハームドラーをかけられている状態そのものに見えるのです。
だから一連の事件が起こった一つの理由には、マハームドラーがあったと
私は考えざるを得ないわけです。

もちろん、それだけであのような事件が起こったとは思っていないし、
ほかにも理由はあると思います。
長くなったので、そのことは次回に書くことにします。

Category : オウムの予言
Posted by machiku on  | 10 comments 

オウムの予言 ビニールシェルター編

今回の話は、石垣セミナーから帰ってきたあとのことです。

その光景を初めて見たのは、富士山総本部道場の2階でした。
道場に足を踏み入れると、壁から天井から、
一面がビニールで覆われていたのです。
しばらくの間、呆然として見入っていました。

世間では、オウムの中はどこも汚いというイメージが強いようです。
実際、そうなのですが、汚さの質はちょっとちがいます。
たとえば神聖な場である道場は、修行場としてのエネルギーを保つために、
余計な物はいっさい置いていませんでした。
だから「がらんとしている」という感じで、
「雑然としている」というのはありませんでした。

未解決事件のドラマでは、麻原さんの写真がペタペタ貼られている
雑然とした道場の姿が描かれていました。これも本当はまちがいです。
じつは撮影に立ち会ったとき、私はそのことを指摘しましたが、
受け入れてもらえませんでした。
スタッフの方たちには、雑然としたサマナの生活空間の様子が
あまりに強烈だったようで、道場までそのように描かれてしまったわけです。

それはさておき、このときはその神聖であるはずの場所が
おかしなことになっていたのですから、やっぱり異常な事態だったと思います。
修行とはまったく関係のなさそうなビニールが、
そこら中に張り巡らされていたのです。
神聖な修行空間が、どこかに消えてしまったような感じもしていました。

なぜ道場がそのように変化しているのかわからないので、
とりあえず私は入り口付近で作業をしているサマナに、
「これはなんのためにやっているの?」
と聞いてみました。すると返ってきたのは、
「これからハルマゲドンが起こるからシェルターをつくってます」
という、まったく予想もしなかったものでした。

まわりを見渡すと、電気の配線作業を行っているサマナがいました。
そこでそのサマナにもなにをしているのか聞いてみると、今度は、
「ハルマゲドンが起こったときのために、外から電気を引いています」
といわれました。

これがあまりに変に思えたので、私は咄嗟に、
「ハルマゲドンが起こると、外の世界が滅んでなくなるんじゃないの?
だったら、外から電気を引いても意味がないんじゃないの」
と聞き返していました。
その瞬間、それまで休むことなく作業を続けていたサマナの手が止まって、
そのままの姿勢でフリーズしたようになりました。
それから彼は、顔を上げることなく小さな声で、
「上からの指示ですから……」
とだけいって、また作業を再開していました。

こんなやり取りをしながら、私はかつて麻原さんが行った
説法を思い出していました。
それはグルが仕掛けるマハームドラーには、「素直に引っかかった方が
修行は早く進む」といったような内容のものです。
ビニール製の核シェルターは、とても本気でつくっているものとは思えず、
私にはグルのマハームドラーのように思えたのです。
もしそうだとすると、真剣に作業をしている人たちに疑問をぶつけるのは、
彼らの修行の邪魔をすることになりかねないので、
それ以降は誰にもそのことを話さないようにしていました。

しかし、ビニールシェルターの話は、これで終わりということにはならず、
私の心の中で放置するのはたいへんでした。
その後、『清流精舎』でも、同じ光景を見なければならなくなったからです。
清流精舎は、富士の総本部や、上九のサティアンともまた別の場所にあった施設で、
川沿いの場所にあったことからこの名前になったようです。

記憶が曖昧なのですが、この頃はまだ、
支部活動が再開されてなかったように思います。
そんな中で、清流精舎で在家信徒さん向けに
「予言セミナー」が開かれるということだったので、
石垣島セミナーに参加した後に出家をしなかった人、
それからセミナーに参加しなかった人を中心に
声をかけていったものだったのかもしれません。

当時の清流精舎には、自前ではなく、元々あった建物がありました。
平屋の建物がいくつか離れて建っていたような感じで、
それらの建物の入り口には船のハッチのような密閉できるドアがつくられ、
壁や天井一面にはビニールが張り巡らされていました。
ただし、ビニールが貼られていたのは部屋の中だけです。
建物をつなぐ通路や踊り場、それからトイレなどにも
ビニールは貼られていませんでした。
仮にこれらがなにかの演出を目的にしているものだったとすると、
入り口はたしかに立派だけど、中はかなり雑につくられている感じで、
あからさまな手抜きが行われているような印象がありました。

私はセミナーの準備段階からこの清流精舎にいました。
当時はまだ「ビニールシェルターはグルのマハームドラー」
とまで確信してはいないので、まわりを観察しながら
それを心の中で確認している感じでした。
それはたとえば、トイレにビニールがないのを見て、
「核戦争が起こったら、誰もトイレに行けなくなるかな」
と考えてみたりというふうにです。
また食事づりくのワークのために
他の建物とつながっていない厨房に向かいながら、
「厨房に行くには外を歩かなければいけないから、
ハルマゲドンがきたら食事係の人は確実に被曝して死ぬことになるのか」
と考えたりしていました。

この厨房の備えはさらに雑で、ビニールがまったくないどころか、
窓という窓がすべて開け放たれていました。
清々しい空気が吸える開放感がある場所でしたが、逆にいうと清流精舎には
シェルターの機能がまったくないことをしみじみと実感させてくれました。
私はセミナーの運営の仕事を担当していましたが、
ここでセミナーに参加する在家信徒さんたちの食事づくりをするのも
ワークの一つになっていました。
麻原さんからの直接指示で、食事づくりは師が行うことになっていたのです。

じつはこのワークのお陰で、演出の雑さのようなものが
なおさらよくわかりました。
食材を確認してみると、蓄えがまったくないのを知ることができたのです。
食材を用意している係のサマナに聞いてみると、
「1日分だけを毎日買うようにと指示されている」ということでした。
それだけとっても、ハルマゲドンへの備えというのが真意ではないのは、
もう一目瞭然でした。

ビニール製のシェルターの弱点は、なんといっても強度の弱さです。
とくに子ども班がいた棟では、シェルターの中を子どもが走り回っているので、
10分と持たずにすぐに破れていたそうです。
そういったことの対策として、「ビニール班」がつくられていました。
破れたビニールの修復をする係で、いつも大忙しの様子でした。

このビニールシェルターは、在家の信徒さんたちにも
奇異に見えていたと思います。
ただし、在家信徒さんたちの反応はとても静かで、
私には「見て見ぬふり」をしているように感じられました。
ちなみに、このとき在家信徒さんたちに振る舞われた食事は、
オウムでは珍しい「おにぎり」です。
これも麻原さんの直接指示で、人数分の食事をつくるために
たいへんな思いをした記憶があります。

ビニール製とはいえ、シェルターとされている建物の中に
閉じこもって修行し、食べるのはおにぎりです。
おそらくこのセミナーに参加した在家の信徒さんたちは、
まるで避難所にでもいるかのような感覚になっていたのではないでしょうか。

ただし、これらの演出は、やはり石垣島セミナーのときに比べるとかなり雑で、
リアリティーに欠けたものだったと思います。
この予言セミナーで無常を感じて出家した人のことを
ほとんど聞いたことがないのは、そのせいかもしれません。

こんな感じですから、ハルマゲドンの話や、
その備えのビニールシェルターの力を心から本気で信じるのは、
サマナにとっても難しかったと思います。
思考を停止すればなんとかなるかもしれませんが、
そういうのは簡単にできることではありません。

たとえばセミナーの最中には、こんなこともありました。
女性サマナが二人、血相を変えてやって来て、
私を見つけてこんなことを言ってきたのです。
「いまアーチャリー正大師(麻原さんの三女)がそこに来て、
『こんなビニールがシェルターになんかなるわけないよねー』
とだけ言って去って行ったんです。どういうことなんでしょう」

このときは本当に困りました。
心の中では、三女がいっているのは「もっともなこと」と思いましたが、
それをそのまま口に出すことはできなかったからです。
それでとりあえずのつもりで、
「とにかく、いま与えられていることを全力で頑張りましょう」
といっていました。
すると二人は、それを聞いて嬉しそうに「はいっ!!」と元気よく返事をして、
そのまま持ち場に帰って行きました。

彼女たちもおかしいと思いながらワークをしていたようで、
そこにとどめを刺すような三女の言動があり、心が折れかけたようです。
しかし、そんな状況で欲しかったのは、それでも頑張るための前向きな言葉で、
この程度でも十分満足だったということのようです。

それにしてもこのときの三女の言動は、私にとっても本当に不可解でした。
彼女に対する世間のイメージは「わがまま放題」というものですが、
これは一面的な見方だと思います。
父親でもあるグルの意思というものをいつも考え、それを幼いながらも
一生懸命に遂行しようとしていたのも彼女だからです。
後に男の子が生まれるまで、3番目の子でありながら後継者として
扱われていたのは、そのような理由もあったように思います。

その彼女が、在家の信徒さんまで呼んでセミナーを開いているときに
邪魔をするようなことはしたのは信じがたいことでした。
ふだんなら絶対にそんなことをしないからです。
むしろ無意識のうちにグルの意思を感じて、その手伝いになるような行動を
することが多かったくらいなので、この振る舞いが気になりました。
もしもグルの意思を無意識に感じ取ってこのようにしていたとしたら、
麻原さん自身もビニールシェルターの効果など認めていないことになります。
そこで私は彼女の行動を、これらがあからさまなマハームドラーであることを
伝えるためのものかもしれないというふうに受けとめていました。

いずれにしてもこの出来事は、私が麻原さんの予言のすべてを
そのまま鵜呑みにすることをしなくなった大きなきっかけになりました。
予言がらみの話を聞いたときには、なにか別の意図がないかを
少なからず考えるようになったわけです。

後に聞いたことですが、このときのビニールのシェルターは核爆弾用ではなく、
オウムが自らまいたボツリヌス菌から守るためのものだということです。
一般的にはそのように理解され、密閉されていないシェルターのずさんさなどは、
すべて「オウムの特徴だから」と解釈されているようです。
人を大量に殺す兵器をつくったり、恐ろしいことを平気で行っているけど、
どこか抜けているところがあるのがオウム、ということなんでしょう。

しかし、私はちょっと別の見方をしています。
シェルターづくりがずさんだったのは、つくっていたボツリヌス菌を利用した兵器に、
人を殺傷する能力がないことがわかっていたからではないかと考えています。
実際、効果が著しく低いことは、
散布の前に動物実験で確認されていたという話もあります。

麻原さんは大ボラふきのような話をすることが多く、目も不自由なので、
細かいことには気が回らないと世間では思われがちです。
でも実際は、とても緻密で慎重な人でした。
私は麻原さんと接しながら、常々そのように感じていました。

それは経典の翻訳や修行法の効果の確認などで、それが正しいかどうか、
きちんと効果があるかを常に吟味している姿を見てきたからです。
それくらい慎重だった人が、開発した兵器の効果、
それからそのものから守るためのシェルターの能力を知らずに
大量散布の指示をしていたとは思えません。
ふだんの麻原さんのことを考えると、そういう姿は想像できないので、
少なくともこの時点では、そういうことを折り込み済みで演出を行っていた、
と、いまでは考えるようになっています。

つまり、石垣島セミナー、それからその後の清流精舎での予言セミナーは、
サマナと在家信徒さんたちを巻き込んで行った
「避難訓練」のようなものではないかということです。
そしてもう一方のボツリヌス菌の開発と散布は、
「軍事訓練」のようなものだったのかもしれません。

オウムはこの時点で無差別テロを計画していたのは事実のようですが、
いずれにしても本気度はまだかなり低かったと思います。
少なくとも95年のサリン事件の直前とは明らかにちがっていました。
94年から95年にかけては、教団をつぶすためにそうしていたのかなと思える
兆候のようなものが、あちこちで見られていたからです。

そのことはまた別の機会に書くことにします。


Category : オウムの予言
Posted by machiku on  | 22 comments 

オウムの予言 石垣島セミナー編

ばたばたしていて、久しぶりの更新になりました。
今回は、「予言」のことを書きたいと思います。

オウムの予言は、事件に大きな影響を与えたと考えられています。
そういう一面は確かにあったと思いますが、
実際にはすべてのサマナや信徒が
予言を素直に受け入れていたわけではありません。
私の場合も教団の中にいたときから、
違和感を覚えることがしばしばありました。

そのことを最初に感じたのは、「石垣島セミナー」のときだと思います。
衆議院選挙で惨敗した後に行われた、予言をテーマにしたセミナーです。
あらためて調べてみたところ、開催期間は
1990年4月14日から22日までの9日間となっていました。

私はこの頃、広島支部の支部長をしていました。
地方の支部なので干渉が少なく、
かなりマイペースで活動していたと思います。
セミナーのことは、支部に届いた通達で知りました。

オウムのセミナーに参加するには、数十万円程度のお布施が必要です。
このときも最初は、「30万円のお布施」という条件が示されていました。
かなり高額ですけど、お布施には現世への執着を切るという
修行的な意味合いがあるので、
オウムの中ではふつうに受け入れられていました。
お金や物質に執着していては、霊性も精神性も向上することはない、
というわけです。

しかし、このときはいつもと事情がちがいました。
募集の期日が迫ってくると突然、条件が緩和されたのです。
新たな指示は、「お布施は数万円でいいからもっと人を集めるように」
というものでした。
具体的な額は覚えていませんが、現地までの交通費を含む
実費くらいではなかったかと思います。

この頃は選挙に惨敗した直後でしたが、最初の条件で参加を希望する人は
広島支部にもかなりいました。
だからどうして条件が緩和されることになったのか不思議でした。

そのうちに、たまたま電話で話した東京本部の師から、
もっと驚くようなことを聞かされました。
それは、
「オースチン彗星が接近して、これから大変なことが起こる」
「できるかぎりの(在家の)信徒を連れて避難しなければいけない」
といったものです。

電話の相手は、このときかなり興奮していたようです。
でも私には寝耳に水の話で、かなりの温度差を感じたのを覚えています。

そもそも彗星が地球に接近することで災害のようなものが起こるとしたら、
どこかに避難したところで、結果はあまり変わらないように思います。
そんなことを思い浮かべて、率直に口にしていました。
それでも相手は興奮したままです。そして、
「そうかもしれませんが、とにかく大変なことが起こるのは確かです」
「覚悟して信徒さんをセミナーに参加させてください!」
というようなことを言われて、電話を切られてしまいました。

私がオースチン彗星の話を聞いたのは、この電話が初めてでした。
通達にそういうことが一切書かれていなかったので、
聞かされた内容にも、興奮している相手の態度にも驚きました。

この直後に、他の支部に電話をかけて様子を聞きましたが、
そこでは私と同じく呑気に活動していたことがわかりました。
それで少しだけ安心し、その話は忘れることにして、
オースチン彗星の話はせずに、ふつうのセミナーの案内として
在家信徒さんたちに声をかけ続けました。

石垣島セミナーのことは、後にオウムの中でも話題になることがありました。
でもこんな調子だったので、サマナの間でも
人によってかなり認識が違っていました。
やはり最も多かったのは、「オースチン彗星に関連した予言騒動」
というふうに思っていたという声です。
これは東京本部の影響力の大きさのせいかもしれません。

これらの見方は、いま現在、常識とされているものとも異なるようです。
一般的には、このセミナーはボツリヌス菌を撒く犯罪計画とセットで、
在家の信徒を巻き込まないための避難というのが真相であると
解釈されているようです。
これが最も筋が通っている見方であるのは確かなようですが、
私自身はそれですべてを説明するのは難しいのではないかと感じています。
その理由については、もう少しあとで書きます。

それはさておき、このセミナーはいつもと違って、本当に何から何まで
行き当たりばったりで行われているとしか思えないものでした。
そのせいで石垣島に向かうフェリーの中では信徒対応などに忙しく、
余計なことを考える時間はほとんどありませんでした。
そんな中でも、いろんな人がいろんな思い込みを話していたので、
モヤモヤした嫌な気分にさせられることは確かにありました。
でもそれは、慌ただしさから解放されて船室のベッドに入って寝る前の、
ほんの一瞬のことでしかありませんでしたが。

このセミナーに麻原さんが合流したのは、最終日に近くなった頃でした。
すぐに説法が行われましたが、それは海岸という異例の場所でした。
あのオウムが突然訪れてきたということで、現地では施設の利用を断られ、
私たちは海岸でテントを張りながら修行をしていたからです。
こうしたサバイバル感あふれる環境は、とくにオースチン彗星の話を聞かされて
動いていた人たちには、天変地異の前触れのように感じられたかもしれません。

残念ながらこのときの説法の内容は、ほとんど覚えていません。
あとで確認したところ、セミナーの正式名称は『神言秘密金剛菩薩大予言セミナー』
となっていたので、予言の話が中心だったように思います。
とはいえ、これからどんなことが起こるといった詳細なことを聞いた記憶は、
ほとんどありません。

私が覚えているのは、説法の後、セミナーに参加した在家信徒さんたちに
出家の意思を確認するようにと言われたことです。
そこで、広島支部の人たちに一列に並んでもらい、
「出家をしたい人は、右に一歩出てください」
と声をかけたところ、9割方がすぐに右に並んだので驚いたのをよく覚えています。
出家の意思を示さなかったのは、ほんの数人しかいなかったのです。

このようにオースチン彗星の予言にほとんど触れていなかった広島支部でも
このときにはたくさんの出家者が出ましたが、
これから自然災害が起こると信じていた他の支部では、
もっとたくさんの人たちが、このときに出家を決意しました。
ただ、そんな人たちの中には、出家を決意した動機が
これから起こると信じていた自然災害などから
身を守るためという人も少なくなかったようです。
そんなせいか、騒動が収まるとすぐにやめていく人も
けっこういたと聞いています。

そして、先ほど触れたように、このセミナーは
計画していたボツリヌス菌の散布から在家信徒を守るためのもの、
というのが一般的な見方になっています。
しかし、私個人は、本当の目的は
もっと別のところにあったのではないかと感じています。
もちろん、オースチン彗星の接近ともまた別です。

なぜそう感じたかというと、ボツリヌス菌の話には
あまりにも説得力がなさすぎるからです。
そういう計画があって、実際につくろうと試みたのは事実のようですが、
結果的に完成しなかったと聞いています。
本当に散布を実行するつもりなら、ボツリヌス菌がないのはおかしな話だし、
その状態で在家信徒さんたちを避難させるのは不自然です。
本気で計画を実行するつもりなら、しっかりと完成させて、
効果まで確認してからセミナーを開けばいいわけです。
そのようにしなかったのは、やはり本当の目的は別のところにあった、
ということではないでしょうか。

たとえばこれは、ボツリヌス菌をつくっているサマナに対する
マハームドラーのような意味合いもあったのかもしれません。
多くの在家信徒さんたちを実際に避難させたことで、
彼らは麻原さんの本気度を感じずにはいられなかったでしょう。
これは大きなプレッシャーになっただろうし、
その時点で実際につくるのが不可能だったとすると、
それが狙いの一つだったように思えてくるのです。

もともと麻原さんは説法などで、チベット密教のカギュ派の祖である
ティローパのことをときおり話していました。
一番弟子のナローパに対して行ったとされる過酷なマハームドラーの話です。
無理難題を与えて、それを実践させることを修行にしていたというもので、
ボツリヌス菌の培養もそれに倣って行っていたことかもしれません。
実際、オウムの中では、非合法なことだけでなく、合法的なことであっても
似たような話はたくさんありました。

もちろん後のことを考えると、実際に完成すれば
散布していた可能性は十分にあります。
でもその時期は、少なくともこのときではなく、
もう少し先になっていたような気がしています。
(※この時に実際に菌を散布していたという話もありますが、
それは殺傷能力のないことが確認されたものを撒いたと聞きました)

それから東京本部などで言われていたオースチン彗星の話にしても、
やはりなんらかの目的で意図的に流されたものではないかと感じています。
こちらは麻原さんが日頃から言っていた、「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ」
ということを出家のサマナのみならず、
在家の信徒さんにも深く実感させるのが目的だったのかもしれません。
オースチン彗星に関する予言の話は、
そのための手段として利用されたものではないかということです。

2年半前に東日本で起こった大地震と津波や
最近の竜巻をはじめとした異常気象では、日本中の誰もが
「今日と同じ日常の明日が来ることは、あたりまえのことではなかった」
ということを、本当に深く実感させられていると思います。

今日と同じ明日が来ないということは
本当なら当たり前のことなのですが、
平和な日常の中に没入してしまっていると、
そんな当たり前のことを忘れてしまうのが私たち人間だと思います。

そして、私たちはいつかは必ず死ぬということも、
頭では理解しているつもりが、そういう意識は、
平和の中にいては希薄なものになりがちです。

しかし、いかに私たちは生きるべきか、ということを
本当の意味で真剣に考え始めるのは、
死というものを深く実感したときであるのも確かです。

これは仏教で説かれている無常観を
強く感じている状態そのものです。

そして、麻原さんは、予言というものを使って
私たちに「死」というものを、
少しでも深く実感させようとしていたと思えるのでした。

実際、石垣島セミナーを経験した人の中からは、多くの出家者が生まれています。
出家の動機は様々だったかもしれませんが、少なくともその時点では
誰もが死というものを強く意識し、そこから自分の生き方についても
真剣に考えていたように思います。

これはオウムのサマナ生活の特徴でもありますが、
同じ状態が長く続くことはありません。
教団全体で取り組んでいることは時期によって大きく変わり、
個人で見てもワークや部署が変わることはよくありました。
私の場合、デザインや仏画を描くワーク以外に、
支部活動やサマナの修行監督などを経験しています。
それでも変化が少ないほうで、
ある一つの環境で安住しているケースはほとんどありません。
これもまた、サマナたちに
無常感を実感させるためのものだったように思います。

ただし、サマナに対してこの石垣島セミナーの次に待っていたのは、
このときよりも、はるかにリアリティーに欠けるマハームドラーだったのでした。
その話は次回に書くことにします。


Category : オウムの予言
Posted by machiku on  | 5 comments 
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