風の彼方へ

そして、いま、ここに在ること

小さなマハームドラー

私が入会した頃は、オウムはまだ渋谷にある、
小さな部屋が3つほどしかないマンションで活動していました。
後に在家信徒向けに行った道場での「コース」もありませんでした。
普段の修行は、自宅で行うのが当たり前だったのです。
そのためのテキストを入会と同時にもらいましたが、
コピー機でコピーしたものを紙のファイルに何枚か綴じているという、
本当に手作り感あふれるものでした。

それでもテキストにそってアーサナや呼吸法、
そして瞑想などを行っていると、
いわゆる「神秘体験」がいろいろと起こりました。

ちなみに、ドラマの最初の頃に言っていた、
入信前の『夢と現実の区別がつかない』という状態は
オウムでの修行を進めているうちに
夢の中では、いまは夢の中なのだということを
認識できるようになっていったので、
区別がつかずに困ることも無くなりました。

そういったことも麻原さんへの信頼につながっていったのは
間違いないと思います。

そして、私の場合、オウムに入会してから出家するまで、
だいたい一年くらいでした。
今回は、その間にあった
印象に残っていることを書きたいと思います。

それは「青年部」にいたときのことです。
青年部というのは在家信徒によってつくられた組織ですが、
麻原さんが直接指導を行っていました。
私もそのメンバーになっていたので、
当時はかなりの頻度で道場に通っていました。

その頃の道場は、渋谷の小さなマンションではなく、
世田谷の一軒家でした。
二階に二間続きでわりと広めの和室があったので、
そこで在家信徒のためのコース、それから説法会やセミナーが
ときどき開かれていました。

今回の話は、その世田谷道場で初めての「小乗のツァンダリー」の
伝授を受けたときのことです。
秘儀瞑想の一つで、伝授を受けたのはスタッフと、
申し込んだ在家信徒でした。
後の時代とちがって、そのときは一週間ほどかけて伝授されたので、
私は毎日自宅から通っていました。

私は神秘体験が多かったほうですが、
グルである麻原さんのすぐ側で瞑想ができたこともあって、
このときも初日の瞑想中に、頭頂から甘露が落ちる体験をしました。
同じような体験をしていたのはわずかだったので、
かなり順調だったのだと思います。

しかし、そのときには麻原さんから意外なことをいわれました。
「深山さんには少し暗性の状態というものも経験させないといけないな」
といわれたのです。
暗性というのは、瞑想のために座っても眠ってしまったり、
起きていても何も見えない、感じないといったような状態です。
今後、人を導くときに、自分のエネルギーを
放出しなければならないこともあるので、
それにあらかじめ慣れさせておく、
というような意味合いがあったのではないかと思っています。

そんなことも伏線としてあったと思いますが、
瞑想セミナーが残り二日か三日を残したくらいの時のことです。

その日は青年部の主要なメンバーがたまたま集まっていました。
そのため、瞑想セミナーが終わってからも
スタッフの一部の人と、青年部のメンバーはそのまま居残って
麻原さんを囲んで話をしていました。
そうしているうちに、麻原さんがみんなで食事に行くことを提案し、
全員で一つのテーブルを囲みながら話ができるようにということで、
近くの居酒屋に行くことになりました。
もちろん全員修行者なので、お酒は飲まず、食事だけをするというのが、
暗黙の了解としてありました。

しかし、その頃の私は、居酒屋イコールお酒を飲むところ、
という感覚が強かったので、道場を出るときについ、
「居酒屋なんかに行ったら、お酒を飲みたくなっちゃうじゃない」
と、独り言のように言ってしまいました。
しかも、そのときは運悪く隣にいた人に聞かれて、
麻原さんに伝えられてしまったのです。
すると麻原さんは、いつものように穏やかな声で、
「じゃあ深山さんだけお酒を飲みなさい。他の人は飲んじゃいけないよ」
と言いました。
そして居酒屋で席に着くと、店員さんに麻原さんが自ら
「芋焼酎をボトルで」と勝手に注文してしまったのです。

それを聞いて、いつも麻原さんの側にいてお世話をしている女性が
「先生、女性は芋焼酎なんて飲みませんよ」
と言いましたが、麻原さんは
「いいんだよ」
とにこやかに返していました。

じつは、私は芋焼酎が好きで、よくロックで飲んでいました。
でもそのことは修行に関係のないことだったので、
それまでオウムの人には話したことがありませんでした。
こんなふうに話していないことを麻原さんに言い当てられてしまう
というのは、オウムではよくあることでした。

この食事会は、数時間ほど続いたと思います。
私は一人お酒を飲んでいたので、醜態をさらしたくなく、
どちらかというと聞き役にまわるよう心がけていました。
話を聞いていると、そのうちに会話の内容が、
私のことになっていきました。
でも意識して話しているのは麻原さんだけで、
他の人たちは一般論として話しているようでした。
麻原さんも、私のことだとは一言もいわず、
むしろ態度としては私を無視しながら話しているように見えたので、
何も口をはさめず、黙って聞いているしかありませんでした。

この件に関しては、翌日、麻原さんと二人で話をしたときに、
「昨日、深山さんのことを話していたことはわかったか?」
と聞かれました。私は、
「はい、よくわかりました」
と答えると、
「これからも昨日みたいな形で、直接に話をするのではなく、
説法の中とか、他の人との話を通して指示を出すときがあるから、
よく注意をしておきなさい」
というようなことを言われました。

このときのことがあるから、麻原さんの話を
表面的なことだけで捉えるのではなく、
その裏にどんな考えがあるのかということを
実際にどこまで読み取れるかは別にしても、
絶えず気にするクセがついていったように感じます。

話をお酒の件に戻します。

私が居酒屋で座った席は、麻原さんの隣の隣でした。
間には、いつも目の不自由な麻原さんのお世話をしている
お世話上手の女性がいて、私のグラスのお酒が少なくなると、
すぐに氷と焼酎を足してくれました。
麻原さんはその様子をうかがいながら、
「Kさんはお酌も上手だろ」
と笑っていました。
そして気がつくと、麻原さんの思惑通りに杯が進み、
気づいたら一人でボトルのほとんどをあけていました。

それだけ飲むと、さすがに家に帰ったらダウンです。
翌日はすっかり二日酔いの状態で、
お酒臭いまま瞑想セミナーの続きに参加することになりました。
しかし、そんな状態で、これまでと同じような
瞑想ができるわけがありません。
目を閉じると同時に睡魔に襲われ、神々を観想しようにも、
イメージの中の神々までが勝手に踊り出して宴会を始めてしまう始末で、
まったく収集がつかなくなってしまいました。

麻原さんに状態を聞かれたとき、そのことを話すと、
「ほらね、お酒を飲むと瞑想ができなくなるだろ」
とにこやかに答えてくれました。続けて、
「これで、なぜ酒を飲んではいけないかがわかったね」
といって、うれしそうにしながら去っていきました。

この一連の出来事は、麻原さんが仕掛けた、
小さなマハームドラーだったのだと思います。

私はオウムに入会してからそれまで半年以上もの間、
お酒を一滴も飲んでいませんでした。
「不飲酒」の戒律があったからです。
でもそれまではお酒が好きだったので、
潜在意識に根強くデータが残っていたのでしょう。
実際、グルから飲んでいいといわれたら、
瞑想セミナーの最中なのに、一人で飲んでいたわけですから。
そこで飲酒によって瞑想ができなくなる失敗をわざとさせて、
楽しそうに見えても、すべては苦しみの因になるのだということを、
頭だけでなく、深い意識においても理解させるということを
行ったのだと思います。
もちろん、それと同時に、瞑想セミナーが始まった頃にいわれた、
「暗性の状態を経験させないといけない」
というのも、しっかりと経験させられたということになります。

今回のようなマハームドラーは、成り行きで行われた
あくまでも簡易的なものですが、
それでも、二重三重の意味合いが入っています。
しかも、この見方は、
あくまでも私ひとりの立場から見たものに過ぎません。
とても信じられないことかもしれませんが、
麻原さんは、常にその場にいる人全員が
修行において利益になることを頭に置きながら
行動するということは、常に実感させられていたことでした。
実際にこの時も、居酒屋での話は、
それぞれの人が修行の利益になるような内容ばかりでした。

そして、仕掛けはこのような小さなものばかりではありません。
本格的なマハームドラーにおいては、
グルがこの人を解脱させようと思った瞬間から
時によっては長い年月をかけての仕掛けが行われると
麻原さんから教えてもらったことがありました。

『マハームドラーとは、空を悟るために
グルから弟子へと与えられていく技法。
空とは、
「この世のすべては心の現れであり実体がない」
「色即是空・空即是色」
これらはすべて空のことである』

これは、数年ほど前に、マハームドラーという意味が
考えれば考えるほどにわからなくなったときに、
その翌朝の半覚醒状態のときに聞こえてきた言葉です。

麻原さんの仕掛けるマハームドラーは、
そのすべてが、弟子の一人一人に空を悟らせるために
行われてきたものであるというその思いは
今でも変わることがありません。
そして、その上で、麻原さんは何をしたかったのかということを
私は今もなお考え続けています。

Category : 出家生活
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入信、そして出家の動機

忙しくてなかなか更新ができませんでした。
申し訳ありません。

なぜ麻原さんを信頼できたのかということの続きとして、
今回は、まず入信や出家の動機などについて書くことにします。

私が入信をしたきっかけは、ドラマにもあったように、
バブル前夜という、浮かれた時代に対して
違和感を感じていたことが大きかったと思います。
でも本当のところは、それだけが理由ではなく、
子どもの頃から強く持っていた思いが影響していました。

私は子どもの頃から、
この宇宙の外はどうなっているんだろうとか、
なぜ人の心と自分の心が別々なんだろうとか、
いまいるこの世界も、もしかしたら夢の世界ではないだろうかとか、
そんなことをよく真剣に考えていました。
いま目の前に見えているものだけがすべてではないように思えて、
私たちが住んでいる宇宙が本当はどうなっているのか、
いつも気になっていたのです。

だから初めて行った丹沢のセミナーで、
麻原さんが私がすっと知りたかった、ヨガや仏教の教えに基づく
宇宙の構造のことを説法で話してくれたときには、
本当に感動しました。
そのときはまだ右も左もよくわからない新入会員でしたが、
もっと話を聞きたいと思い、スタッフ(当時は出家サマナのことを
こういいました)になることまで真剣に考えていました。

また出会った直後から麻原さんやオウムに強くひかれたのは、
子どもの頃から修行を求めていたことも大きかったと思います。
まだ小学校の低学年だった頃のあるとき、こんなことがありました。

私の母は、山奥にあるお寺巡りが好きで、
普段からひとりで出かけていました。
その母がとても気に入ったお寺があり、ある日曜日に母のすすめで、
家族全員でそのお寺へ行ったときのことです。

我が家から車で1時間くらいのところにあったそのお寺に行くと、
住職さんが銅鑼のようなものを叩きながらお経を唱えてくださいました。
その銅鑼は、木魚のようなポクポクポクポクという素朴な音ではなく、
ボーン、ボーンといった低い音が響くようなものでした。
私たち家族はその音とお経を、正座をし、目を閉じながら聞いていました。
そのとき私は、自分の肉体からもう一つ別の身体が抜け出して、
お寺の中をフワフワと飛んでいるような、気持ちの良い体験をしたのです。

その時間はとても幸福で、住職さんのお経が終わったときには、
目を開けるのがとても残念でなりませんでした。
そして終わってから父親に、
「もっとやろうよ、気持ち良かったよ」とねだっていましたが、
その姿を住職さんは嬉しそうに見ていました。

その後、成長するにつれ、いろんな本を読んでいるうちに、
そのときのことは、瞑想のひとつの体験だと理解しました。
そして次第に、瞑想というものを本格的に学びたくなったのです。
でも一方では、瞑想修行というのはちゃんとした指導者がいなければ、
とても危険ではないかという思いが直感的にありました。
それで結局、自分が心から優れた指導者と思える人が見つかるまで、
瞑想修行を行うのを我慢していたのです。

そんな思いがあったので、25歳になった頃、
麻原さんの書いた『超能力 秘密の開発法』という本に出会ったとき、
強くひかれることになったわけです。
この本を夢中になって一晩で読んでいましたが、
それは「もしかしたら探していた指導者が見つかったかも」と思い、
とても嬉しかったからです。

そして本を読んですぐオウムに電話し、入会の手続きをしていました。
その頃のオウムがあったのは渋谷の小さなマンションですが、
喜びが抑えられず、すぐに出向いていたのです。

このときには同時に、それから数ヶ月後に行われるセミナーと、
麻原さんからのエネルギー移入であるシャクティーパットの申込まで
行っていました。
そこまでのことを一気にやってしまったのはやっぱり、
子どもの頃から求めていたことをかなえられる場所を、
やっと見つけることができたと感じたからだと思います。

そして入会後は、当時麻原さんが使っていた「千年王国」という言葉に
強くひかれました。
表現は時代によって変わりましたが、私が強く望んでいた、
修行をしながら生きていくことができる理想の社会のことです。
まだオウムが小さなヨガサークルのような組織だった頃から、
麻原さんはそのような社会をつくりたいとずっといい続けていました。
そのことに心から賛同できたし、大きな価値のあることに思えたので、
最終的には私も出家する道を選んだわけです。

じつはNHKから取材を受けたときには、
そのようなことまでは話しませんでした。
わざとそうしたのではなく、聞かれなかったので話せなかったという感じです。
でも宗教や精神世界にあまり関心のない人にとっては、
入信理由や自分の全財産をお布施してまで出家した理由を
理解してもらうことは、なかなか難しいことのようなので、
今回は補足として書いておくことにしました。
もちろん、その頃の浮かれた時代の雰囲気に違和感を覚えたことも、
内的な世界への関心をさらに強めていくきっかけになったことは
まちがいありませんが。


ということで、また次に続きます。

Category : 出家生活
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信頼

昨年9月のNHKドラマに関する話の最後に、
「近いうちにドキュメンタリーの感想を」と書きました。
それがすっかり放置という形になってしまい、本当に申し訳ありません。

あのドキュメンタリーは、諸々の事件の本当の動機、
それから麻原彰晃という人物の実際の姿を探っていく、
という姿勢があまり感じられませんでした。
最初に結論ありきで、それに沿って番組をつくるという、
これまで行われてきた報道と同じように
つくられているように感じられたのです。

それは全体でなく、部分的に受けた印象かもしれません。
でも事前にNHKの方から、「これまでとはちがう視点で」
という意気込みを聞かされていたので、そのギャップから
余計に強く思えてしまったのかもしれません。

それで最初は、そういうことをここで書こうと思いました。
でも実際に書き始めてみると、
なんだか批判ばかりのようになってしまいました。
しかし、いまはそういうことを書きたくなかったので、
結局、ドキュメンタリーの感想をうまくまとめることできず、
長い間、放置する形になってしまったわけです。

そこでドキュメンタリーの感想は後回しにすることにして、
ドラマについて書いたときにいただいたコメントの中にあった、
ある質問というか疑問の答えになるような話を書くことにします。

その質問というか疑問は、ドラマの放送後、いろいろな人から
幾度となく聞かれたものです。
ドラマの後半部分で触れられていた、
「記憶を消された」ということについてです。
そのことは衝撃的だったようで、
「観ているだけでとても怖かったけど、どんな気分だったんですか?」
と聞かれることがありました。

私はすべてを理解しているわけではないので、
聞かれたことすべてに答えられるわけではありません。
でも記憶を消された話は、多くの人が強く印象に残ったようなので、
どこまで伝えられるかはわかりませんが、
私なりに考えたことを書くことにしました。

記憶を消される直前のことは、じつはいまでもほとんど覚えていません。
ただ、記憶を消される直前、自分で自分宛に手紙を書いていたので、
そのときの自分の心の状態は、
その手紙を読むことである程度はわかっています。

ただ、その手紙は、自分以外の誰かに読まれても差し支えがないように、
具体的なことはなに一つ書いてありませんでした。
書かれているのが抽象的な内容でも、自分が読めば、
いろいろ思い出すのではないかと期待していたのだと思います。
でも実際は、そのときの状況は手紙を読んでも
ほとんど思い出すことはできませんでした。

だいたい何日がかりで記憶を消されたのかさえ、
いまだによくわかりません。
ただ、記憶を消されたのは、ちょうど地下鉄サリン事件が
起こった頃だというのはわかっています。
最後に記憶を消されてから数日後に、警察の大がかりな強制捜査が
始まったのをなんとなく覚えているからです。

あやふやなことをいっていると思われたかもしれませんが、
記憶が消される前だけでなく、記憶が消された直後のことも
よく覚えていないから仕方がありません。
記憶を消された直後というのは、新しい記憶も定着しにくく、
いま話したばかりのこともわからなくなってしまうような、
そんな感じでした。
この状態はだんだんと改善されていきましたが、
元に戻るまでに、だいたい一か月以上かかりました。

記憶が消される前に、自分宛に書いた手紙は、
こんなふうに記憶が曖昧な頃に捨ててしまいました。
それ以上、記憶を消されることはないと思い、
もう必要ないと考えたからです。
手紙の内容について、細かい部分まで正確に覚えていませんが、
書いてあったのは、ほとんど自責の念でした。
記憶を消されることへの恐怖のようなものは、
一切なかったように思います。

そんなふうに書くと、意外に思われるかもしれません。
でもその頃の私は、本心からそう思っていたようです。
正確な記憶がないので、そのことについては、
あとになってからも考えたことがあります。
何度考えても、どうしてもそのようにしか思えないので、
おそらくこれがそのときの本心だと思います。

当時のことを考えたときには、その後にもう一度
記憶を消されることになったらどうしていたか、
ということも想像してみました。
抵抗はあるものの、最後は従っていたのではないか、
というのが私の答えです。
もちろん、それは麻原さんからの指示だったらという条件付きです。
他の人によってそうされそうになったら、とても従えないので、
100%逃げ出しているでしょう。

このように、ふつうなら恐怖を感じるようなことでも
受け入れることができたのは、
やはり麻原さんへの信頼があったからなんだろうなと思います。
世間のイメージとはまったくちがいますが、
麻原さんは自分のエゴで人になにかをするようなことはなく、
いつも相手の魂の成長だけを考えていると感じさせてくれていました。
ときにはその指示が、世間の常識からすると、
弟子にとって不利益にしかならないように思えることもあります。
だから外から見ると、いかにも無茶苦茶なことばかりをしていたように
見えるのではないかと思います。

でも本当にそんなことをしていたら、誰もついていきません。
実際、そういう信頼のようなものがあったからこそ、
グルからポアの命令が下されたとき、素直に従う弟子がいた、
ということではないかと私は考えています。

また、あのNHKのドラマの中で、記憶を消されることは、
「都合の悪いことを知った人に対して行っていたこと」
と説明されていました。
そのように話していたのは、私のパートナーである早坂役の人です。
そのことに関して、早坂本人はあきれていました。
「自分はよく知らないし、そうは思っていない」
と取材の時は言っていたのに、都合上、ドラマをつくった人たちの
解釈を言わされる形にされてしまったからです。

私もそうですが、記憶が消されることも
一つのイニシエーションだと受け止めていました。
イニシエーションというのは、グルが弟子の修行を進めるために行う、
一種の儀式のようなものです。
オウムの中では、いろいろな形で日常的に行われていました。

あまり知られていないことかもしれませんが、
オウムの修行の目的は、霊性と精神性の向上にありました。
そしてその妨げになるものの一つに観念というものがあり、
これはその人の経験によってつくり上げられていると教わりました。
つまり記憶を消すことは経験を消すようなもので、霊性と精神性の
向上の妨げになっている観念の影響を排除することにつながります。
そのような価値観で考えると、決して悪いことではないわけです。

記憶を消されることは、ふつうに考えると恐怖を感じる嫌なことです。
でも修行上の理屈で考えると、一応は理にかなっていたわけです。
だから当時は、記憶を消されることにそれほど強い抵抗がなかった、
ということなのだと思います。

実際、記憶が消されてから目が覚めたときには、
なにかスッキリしたような意識状態だったことを覚えています。
恐怖もなければ、否定的な感情も一切ありません。
キラキラした光の中で目覚めたような、
むしろそんな気分のいい状態だったのです。
もちろん、その後はしばらく記憶の定着がうまくいかない状態が
続いたので、それだけはさすがに困りましたが。

また、そのドラマの最後の方で、記者役の人から
「あなたが指示されていたらサリンを撒いていたか?」
と質問されるシーンがありました。
そのとき私役の人が、「ふだんだったら絶対にやらないけど、
記憶を消された後だったらやっていたかもしれない」
というようなことを言っていました。

あのシーンを見ていた人の多くは、おそらく記憶を消されたことで、
機械のように意識を簡単にコントロールされてしまう状態に
なっていたからだと受けとめられたかと思います。
でも実際にはかなりちがうニュアンスであることは、
これまでの話で、なんとなくでもわかっていただけたでしょうか。

本当は、そのことも詳しく触れなければいけないのかもしれませんが、
そのことはまた別の機会にします。


そして、私の場合、記憶を消されることに素直に従うだけの強い信頼が、
最初から麻原さんに対してあったわけではありません。
いろいろと思い返してみると、ある日突然芽生えたようなものではなく、
時間をかけて少しずつ育まれていったように思います。
長い時間をかけて、信頼関係が築かれていきました。
そのことが世間的な見方では、そうやって時間をかけて、
徐々にマインドコントロールをされた、
ということにされてしまうようですが。

そんな信頼が、どのようにして培われていったのかということを
出家してから3度目の独房ができるようになるまでの
エピソードを通して、書いてみたいと思います。

長くなりましたので、次回に続きます。

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