風の彼方へ

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Posted by machiku on  | 

グヤサマジャ・前編

※記憶を整理しながら、前に削除した記事を
 少し手直しして再アップします。


出家生活をしていたとき、とくに、出家生活の始めの頃は、
グヤサマジャという本部や各支部の
祭壇に掲げられている仏画を描くことを、
メインのワークとして与えられていました。

三面六臂(さんめんろっぴ・三つの顔と六本の腕)のグヤサマジャは
時代によって、その呼び方は『グヒャサマジャ』など、
少しずつ変わってはいきました。
私がその仏画を描いていたときは『グヤサマジャ』と呼ばれていたので、
ここでは『グヤサマジャ』で統一することにします。

なお、今回のシリーズは、グヤサマジャを祭壇に掲げることになった経緯等を
元TD師から訪ねられ、それがきっかけで書くことにしました。

それでいろいろと思い返しているうちに気づいたのですけど、
自分でこのことについて書こうと思った事柄については、
細かい点まで覚えていることが多いのですが、
人から聞かれたことについては、
残念なことに、記憶が曖昧なことが少なからずあるようです。

聞かれて初めて、思い出す作業を行うといった感じだからかもしれません。

ということなので、そんなことを頭の片隅に置きながら、
これから書くことを読んでいただけたらと思います。


私がグヤサマジャを描き始めたのは、87年の春のことでした。
それは、まだ出家を果たす前、すなわち在家のときでした。

その頃は、麻原さんが陣頭指揮をとって作った
在家の会のグループである青年部に所属しながら、
オウムの活動を行っていました。
『オウム神仙の会』と名乗っていた頃のことです。

前にも書いたかもしれませんが、その頃はまだ
出家という言葉さえも誰も使っておらず、
後の出家者は、そのときは『スタッフ』と呼ばれていました。

スタッフの数は、それほど多くありませんでした。
そのため在家といっても、麻原さんとの距離は、
後に比べればかなり近かったのだと思います。

そんな頃、麻原さんから直接、チャクラ図をはじめとした
数枚のタンカを描いてくれないかと言われました。

私は外で仕事をしていたし、
家賃を払って、普通の生活をしていたため、
麻原さんから、その報酬を払うと言われました。

しかし、バクティーヨーガという奉仕修行の話を何度も聞いていたので、
「報酬なんて受け取れません」と言った記憶があります。
そして、バクティー、すなわち奉仕活動として
チャクラ図のタンカを書く約束をしたのでした。

しかし、普通の生活をしながらタンカを描くということは、
思いのほかたいへんなことでした。
初めての経験でもあり、荷が重いと感じていたのか、
なかなか作業に取りかかることができないでいました。
そんな感じで、およそ数週間近くがたった頃だったと思います。
千葉の自宅に帰られていた麻原さんから、私宛に電話が入ったのでした。

私は、頼まれたタンカは手をつけないままであったのですが、
オウム神仙の会が出していたシャンバラ新聞という会報誌の版下作りを
世田谷の上町で手伝っていました。
そのときだったと思いますが、電話に出てみると、いきなり
「シヴァ神のグヤサマジャを描いてもらいたい」
と言われたのです。

「タンカもまだ描いていません」という趣旨の話を伝えると
「それはもういいから、これから言う内容のマンダラを描いて欲しい。
メモはいいか」と言ったかと思うと、
グヤサマジャの三つの顔の色と表情、六本の手に持っているそれぞれの法具、
そして、ダキニ天女との様子をどのように描くか等を詳しく話し始めました。
私は、頭の中でイメージできることは、できるだけ詳細にイメージしながら、
必死になってメモをとっていたことを覚えています。

そのときの麻原さんは、
これはシヴァ神がグヤサマジャの姿をとっているものだということ、
すなわち、シヴァ神のグヤサマジャなのだということを
何度か強調されていたように記憶しています。

ただ、それだけ詳細にグヤサマジャの様子を話されても、
虹以外の背景等は「あとは任せるよ」ということで、
説明はありませんでした。

つまり、私がグヤサマジャを描き始めたのは、
麻原さんからの直接の指示であったことには違いないのですが、
グヤサマジャについて、細部に至るまでの特別レクチャーを
受けたわけではなかったのです。

一方で、私がイメージできない部分に関しては、
私がイメージできるところまで譲歩してくれたりしました。

例えば、曼陀羅の中で、グヤサマジャの右の一本目の腕には
はじめは曲刀を持たせるように言われたように記憶しています。
しかし、その頃は、法具のことなどほとんど知らない状態で、
曲刀と言われても、それがどんな形のものなのかわからず、
「それは曲がった剣なんですか?刀剣とは違うんですか?」
といったようなことを、しつこく聞き返していました。

すると、麻原さんは、
「曲刀でも長い剣(つるぎ)でも、どちらでもかまわない」
と言われたので、そこは曲刀ではなく、
剣(つるぎ)を描くことになったという経緯がありました。

そうして、長い電話を切った後、私は何を考えたのかということは、
正確には覚えていません。
ただ、たったいま麻原さんから聞いた、
シヴァ神のグヤサマジャという方に対する
強い憧れのようなものが込み上げてきたことだけは記憶に残っています。

そのためなのか、その前に頼まれて放置してしまった
チャクラ図のタンカとは違って、
すぐに作業に取りかかることができたのでした。
私はまだ在家だったので、
そのとき私が住んでいたマンションの一室で
第1作目を書き始めたのです。

そして、麻原さんから電話で依頼があったのは、
ちょうど初めての小乗のツァンダリーの伝授が
スタッフと在家の希望者に対して行われた頃でした。

(次回につづく)

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Category : グヤサマジャ
Posted by machiku on  | 8 comments 

-8 Comments

元R師 says...""
面白いですね。
僕が現役時代は、信徒さんに曲刀とは何かと聞かれたときは、グヤサマジャの絵を見てもらえばそれでよかったんですが(笑)、言葉だけでは分からないですよね。
2015.10.18 13:58 | URL | #- [edit]
ライナス says..."久しぶりに見ました"
久しぶりに見たら、たまたま更新されていたということが2回目で面白いと思いました。

「『ダキニ天女の胸は大きく描くこと』と尊師から指示されていて、
背中の方向から大きな胸をどうして描いたらいいのかマチク師が悩んでいた」、
ということをヴァジラ・サンガーさんから聞きました。
そんなことをふと思い出しました。

2015.10.18 18:36 | URL | #2IMcsW86 [edit]
Simon says...""
深山さん、こんばんは。

たまたまブログにお邪魔しましたら、更新されていて、ハッピーです!

千葉県から世田谷区に電車を乗られていたとのこと、当時は今より路線が少なかったり、乗り換え時間の調整が今ほど計算されていなかったでしょうし、暑い夏や寒い冬もあったんでしょうが、それだけに献身的だったんですね。

価値観は共有していませんが、どういうお話しか感心がありますので、続編を楽しみにしております!
2015.10.18 19:43 | URL | #- [edit]
深山 says...">元R師さん"
曲刀と聞かれて、グヤサマジャの絵を参考にしてもらっていたんですね。
でも、ちょっと違っていたというのが心苦しいような気もするんですが、どちらでもいいと言われたわけだから、良しということでしょうか。(笑)

ところで、前回のコメントでの指摘、ありがとうございました。
元R師さんのコメントで、ダキニ天女が三面六臂になっていたということの記憶が全部なくなっていたことに気がつけました。
気がつくことで、思い出すことが可能になったので、大変感謝しています。
それにしても今回は、よほど印象に残ったことは除いてですけど、こんなに大事な部分の記憶がすっぽり抜け落ちていることに、自分でもビックリしてしまいました。
2015.10.19 10:44 | URL | #8w11VUaU [edit]
深山 says...">ライナスさん"
久しぶりに見たのが、たまたま更新した直後というのがすごいですね!

私はヴァジラサンガーさんに、そんなことを言っていたんですね。
いまも、それほど直っているわけではないですけど、余計なことを話しすぎですよね。(汗)
とはいえ、あのグヤサマジャの絵の指示は、ダキニ天女の胸のことだけでなく、どうしたらいいかと悩む課題が山積みでした。そのどの部分も、絵としての大切な意味合いの象徴を表すことだったので、決してないがしろにすることはできずで、出家する前もしてからも、ずっと悩み続けていたような気がします。(笑)
2015.10.19 10:54 | URL | #8w11VUaU [edit]
深山 says...">Simonさん"
Simonさんも、更新直後にたまたまブログに来られていたということで、すごいですね!

千葉県から世田谷というと、麻原さんのことでしょうか?
ただ、世田谷に移ってからは、私の知る限りでは、いつもお弟子さんや奥さんが代わる代わる車で送り迎えをしていたので、電車に乗った姿というのは見てないです。
世田谷に移る前の渋谷には、千葉から電車で通われていたかもしれません。
少なくとも、もっとはるかに初期の頃は、そうだったんじゃないかなとは思います。

続編はこの後に更新します。
2015.10.19 11:01 | URL | #8w11VUaU [edit]
炭酸せんべい says...""
こんにちは。
NHKの未解決事件のドラマパートで深山さんの描いた絵が出てきましたが、あの絵は実際に深山さんご自身が描かれ、教団で使われていたものですか。
複製なのでしょうか。
2015.10.27 20:51 | URL | #4Sn8Qhv. [edit]
深山 says...">炭酸せんべいさん"
NHKのドラマの中の絵は、私が描いたものではありません。
マハーヤーナの創刊号に載っている絵をNHKのスタッフが模写したものです。
よーく見るとタッチとかは違うんですけど、そっくりでしたよね。
2015.10.27 21:46 | URL | #8w11VUaU [edit]

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